お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2017年8月25日金曜日

チョガ・ザンビール(Tchoga-Zanbil)3 ジッグラト北西面から南西面


説明板にあった遺跡地図
1ジッグラト 2内壁の南東の門 3内壁の南側の門 4内壁の北東の門 5内壁の北方の門 6ナピリシャ神殿 7キリリシャ神殿 8イシュニカラブ神殿 9西方の門 10神殿群 11ピニキル神殿 12アダドとシャラの神殿 13シムトとベレトアリの神殿 14ナプラテプの神々の神殿 15ヒシュミティクとルフラティルの神殿 16中壁の北東の門 17中壁の南東の門 18ヌルキブラト塔 19閉じられた門 20南東の複合建物 21中壁の南西の門 22複合住居 23水利施設 24ヌスクの神殿 25墓室のある宮殿 26第2宮殿 27第3宮殿 28外壁の東方の門
北東面と北西面の角
添乗員金子氏は、前に調べたのですが、インシュシナクはこの地方の神でしたが、アケメネス朝の王がスーサを都に定めてから、国家の神となりました。
背後の内壁に沿った凹凸のある壁面は、
5北方の門だった。
中央の門の前にはやはり牡牛像と鷲グリフィンの像が置かれていました。
説明板は、この階段通路は、南東と北東の階段通路と同様に、一階テラスに行くためのものであるという。
では南西面中央の階段通路からしか頂部の神殿には行くことができないの?
ギルシュマンは門よりも右寄りからトンネルを掘って内部に到達した。


合成するとかなりデフォルメしてしまった。近く過ぎて全体を写せない。
説明板は、入口向かいに、大きな円形の台座があり、焼成レンガで造られている。宗教儀式に関係しているようだという。
祭壇、それとも供物台?縦に三層の凹みが2つある円筒状のものだ。

ところどころ白い釉薬が残っている。
別の場所の床に柵で囲ってあり、
そこで保護しているものはというと、焼成レンガに残っている子どもの足跡なのだった。

内壁に接して3つの神殿が造られている。
6ナピリシャ神殿 月の神
金子氏は、神殿はたくさんありますが、ジッグラトに近いほど最高神に近い、重要な神が祀られていますという。
7キリリシャ神殿へ
三大神の一つ大地母神を祀ってある。
すでに奥の方で集まっている。
その上に狭いところを覗いている。
そこにあったのは排水溝だった。
焼成レンガで造られていた。
次の神殿へ。

8シュニカラブ神殿
神殿奥壁にアーチ形の開口部があって、内壁が見えている。
かなり横長
扉の軸受
その横には窯跡が残っている。大量の焼成レンガはここで焼いたのかな。
窯跡の左隣の部屋。
北西の角から北西面を眺める。ここは、地面に敷き詰めたレンガがよく残っている。

内壁を西の門から出て、
北方向へ。
建物の基礎があったが、10神殿群の一つか22複合住居かは不明。
中壁もすでに背後に。

外壁に近いところまでやって来た。
はるばるやって来たのはエラム時代の23水利施設だった。
東方にアルヘー川が流れています。その川からここに水を引いていました。
本来は地下に埋められています。何故これが水利施設かとわかるかというと、現在でもこのような装置が使われているところがあるからです。
奥にためた川の水を濾過して、こちら側に貯めました。
そして、人々はここから水を汲みました。
裏側の貯水池。深いところは側壁に焼成レンガを使っている。
堰堤
もう一つの説は、左から流れ込んだ雨水を濾過した水を、右の深い方に貯めたというものです。
水を貯めるためにか、ジッグラトでは使われなかった瀝青が、ここでは使われている。

北西面と南西面の角にある9西方の門へと戻ってきた。
ジッグラトの南西面中央部
左の黒ずくめの若者は中国人だが、日本語がわかるので、我々のツアーに付いて回って説明を聞いていた。この後はタブリーズに行くとのこと。我々もタブリーズには行くが、ずっと先のこと。
ジッグラトについて説明板は、一番高い所に登るには南西の通路が使われた。このジッグラトは最も重要なエラムの神々の2柱に捧げられている。その名はインシュシナクとナピリシャで、どちらも頂部に神殿があるという。
この階段通路だけが頂部の神殿へと登ることができたのだ。
エラム人の発明というアーチ。
この遺跡の関係者は日陰の壁面を指して説明してくれた。
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトチョガー・ザンビールは、壁の中央のところには一列に繋いでエラム語の碑文が刻まれている。この壁面の碑文を含めてチョガー・ザンビールからは5000枚以上のエラム語粘土板が出土している。中央の階段の入り口の前に円形の祭壇が設けられている。この円形の祭壇は南西面と北東面にあったが、南西面の門のみが部分的に復元されている。その用途は宗教上の儀式が行われたと推測されているだけであるという。 
アッカド語ではなくエラム語だった。
確かに、銘文が指さす段にだけ並んでいる。

説明板は、円筒型の祭壇は、北東面(消失)、北西面、そして南西面のジッグラトのすぐ近くにある。宗教上の祭事に使われていたようだ。南西面の祭壇はギルシュマンによって修復され、日時計のようになっていしまったという。
北西面の祭壇は縦に凹みはあるが、片側だけが高いということはなかった。
その裏側

南西角から南西面を眺める。

内壁の南東の門(左の出っ張ったところ、立っている人の右奥)を抜け、
外壁内側の宮殿群を遠望。
そして中壁の南西門を出て、ジッグラトを振り返る。


チョガ・ザンビール2 ジッグラト南東から北東面←    →ハフト・テペ遺跡

関連項目
チョガ・ザンビール1 中壁東隅の神殿群
ジッグラトがイラン高原の山だったとは

参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトチョガー・ザンビール(文字化けしているので、IEで開いて、エンコード Unicode UTF-8で正しく表示します)

参考文献
「ペルシア建築」SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「古代オリエント事典」 古代オリエント学会編 2004年 岩波書店
「季刊文化遺産8 古代イラン世界」 1999年 財団法人並河萬里写真財団
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館