お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2017年11月13日月曜日
タフテ・スレイマーン(Tahkt-e Soleyman)2 博物館
タフテ・スレイマーンは、サーサーン朝の建物跡にイルハーン朝期に建物を連結したような遺跡で、卵形の周壁はサーサーン朝時代のものだ。
その中に、一つぽつんと立っているのが⑪イルハーン朝時代の集会所で、現在では発掘品が展示されている。
限りある時間にできるだけ多くを写していったが、残念なことに館内の照明のせいか、どれも赤みを帯びた写真になってしまった。
漆喰細工
壁面装飾には漆喰装飾使われていた。壁面を組紐文で様々な幾何学形に分割し、それぞれの文様に従って、浅浮彫から高浮彫まで、多様な凹凸に仕上げられ、下部は小さなアーチ形壁龕を並べている。
これも幾何学文様の壁面破片
これはムカルナスっぽい
草花文が弧状に連なっている。
草花文とインスクリプションの組み合わせだろうか。
これも
そしてこれも
これは少し違うみたい
凹面の区画
モザイクタイルにもありそうな草花文
石彫断片
何を表した物か不明
タイルは、もっと元の色がわからない
草花文六角形タイル ラージュヴァルディーナ
詳しくはこちら
六角形タイル 多分空色(トルコブルー)
花文を表しているように見えるが、凹面に釉薬が溜まり、組紐状の輪郭線は無釉。
六角形タイル 紺色と空色
中央に6点星、その周囲に6個の六角形、その外側に6個の変形5点星。その外側はそれぞれの辺に接して同じ文様の六角形タイルが配され、その接合部に小さな六角形と大きな六角形ができる。
上のタイルとの違いは、組紐の表面に凹凸があり、それぞれの線をくぐったり、越えたりしていること。
六角形タイル 空色
地に空色の釉薬がかけられているのに、主文の鳳凰は無釉。鳳凰には細部が浅浮彫で表現しているのに。
小さなタイルの部品が並んでいた。
三角形、12点星、4点星などは幾何学文様の壁面装飾に使われたのだろう。
右手前には蔓草文の文様帯。
8点星の中央が半球になった小さなタイルの四方には、組紐文で、中に草花文を置いた幾何学文様をつくっている。右手前のものは別の文様に使われていたはず。
中心の6点星から組紐で幾何学文様を構成し、草花文を置いたもの。タイルの型?
十字形タイルあるいは型
円柱と柱礎 時代不明
柱礎は二段で、上は円形だが、下は正方形ではなく六角形のよう
タフテ・スレイマーンを出発して、一路本日の宿泊地ザンジャーンへ。
牛の群が道路を塞いでバスが動けなくなってしまったり、羊さんたちを間近に眺めたりと、のどかな雰囲気にひたっていた。
車窓には雪は残るが緑のなだらかな山が広がって、気も緩んでいた。
ところが、またしても山肌に異様な色が現れ始めた。
下の方には白い石の採石場があるが、周りは赤っぽい土。
リフトが出現。スキー場が?いや、鉱山から錫鉱石を運んでいるのだそう。
このリフト、行けども行けども続いていて、
やがて土地が平たくなり、リフトは別の方向へ向かったと思っていたら、
また近付いて、農地の上でも続いていた。
やっとリフトは見えなくなったが、赤い山は続いている。
日干しレンガの家もポツポツ。
山肌はそれぞれに違っている。
中国の七彩湾を思わせるものも。古代テチス海はそれほど広大だったのだ。
赤い土の山は脆そう。道路にはガードレールもなさそうだし。
居眠りするどころか、リフトと古代テチス海に堆積した地層に魅入っているうちにザンジャーンの町が見えてきた。思ったよりも大きな町だ。
市街地に入ったというのに、どんどん東へ向かい、モスクを通り越してやっと停まった。
イマーム・ホメイニ通りというメインストリートにホテルはあった。
ホテルのレストランは新しく、夕食は、しっかりサラダにパスタ入りスープ、そしてチキンの煮込み。
そして嬉しいアイスクリーム。
ザンジャーンは小さな町なので、ホテルの設備は良くないとのことだったが、レストランや食事は思いの外良かったが、部屋はがらんとしてシングルベッドが一つだけ。
寝ていると寒いと思ったら、ベッドカバーだけで、毛布は離れた棚にあった。
一応トイレとシャワーの間にはカーテンがありました。
タフテ・スレイマーン1 サーサーン朝とイルハーン朝の遺跡←
→ザンジャーンで朝散歩
関連項目
アルメニア博物館のラスター彩はタフテ・スレイマーンの後
タフテ・スレイマーンのタイル