お知らせ
イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2018年1月8日月曜日
聖タデウス(黒の)教会 Qara Kelisa
タブリーズから半日バスで移動してやっと着いたマークーの町から聖タデウス教会へ向かう。直線距離では22㎞ほどだが・・・
Google Earthより
褶曲した地層が露出したり、
意外に開けた土地には小さな水の流れがあったり、
遠くに雪山を望んだりと車窓から目を離せない。
Google Earthで見ると、マークーから聖タデウス教会までの狭い渓谷を行くように見えるが、そこには大型バスの通れるような道はない。どこをどう通ったのやら。
そしてまた、古代テチス海の色の地肌が現れた。
修道院はシアー・チェシュメー村(Siah Cheshmeh)にある。
Google Earthより
古代テチス海の崖の麓に、やっと教会らしき尖塔が見えてきた。
説明文は、修道院は西アゼルバイジャンの山岳地帯の中のシャルドラン平野の北東にある。古い伝説によると、Qara Kelisaの名は、古い教会に使われている黒い火成岩に由来している。アゼリ語でqaraは黒であるが、qarahやqaraは、大聖堂の大きな建物の大きいを意味するKaraからきたもののようだ。毎年7月の末に、何千人ものアルメニア人が、イランや他の国から巡礼にやって来て、式典に参加する。
全世界のキリスト教徒にとって、特にアルメニア人にとって、殉教した聖タデウスをしのぶ、最も神聖な場所の一つである。聖人の墓は修道院へ通じる道の途中の丘の上にある。
1243年以来、聖タデウス大聖堂の名は、しばしば文学や歴史書に登場する。修道院は権力者にって略奪され、地震などの自然災害によって破壊された。古い教会 内部の碑文によると、教会 は14世紀初めの激震によって廃墟と化した。建物は大司教ザカリアによって再建され、10年という歳月を経て、1329年に巡礼者に扉が開かれた。
新しい教会は、ガージャール朝の王子アッバース・ミルザの命により増築された。新しい教会 は白い石で建てられ、アルメニアのエチミアジン大聖堂より贈られた、比類なく石彫で荘厳されているという。
小さな川に沿って壁を造り、その中に監視塔のある周壁まである修道院である
Google Earthより
この教会の平面図
①主聖堂 ②鐘楼 ③入口 ④監視塔 ⑤東中庭 ⑥西中庭 ⑦警備員室 ⑧台所 ⑨技術室 ⑩客室 ⑪高位聖職者の部屋 ⑫事務室 ⑬貯蔵室 ⑭チケットと土産物屋 ⑮展示室 ⑯トイレ
玄武岩の切石積みの壁が教会の全貌を隠している。
周壁の門から入ると、新しい教会の②鐘楼は素屋根が架かって修復中。
敷地に入り込むと、②鐘楼に続いて新しい教会の八角形のドームだけが見える。
上段には聖人の立像、下段の尖頭アーチ列にも浮彫がある。
新しい教会は19世紀前半に建立されたので、古い物ではないが、外壁の石彫は興味深い。
この辺りから全体を撮った写真がないので、『IRAN THE ANCIENT LAND』の写真で。
大抵の教会では鐘楼は高いものだが、聖タデウス教会では低い。
イスファハーンのヴァーンク教会(1655-64年)の鐘楼は教会の外に造られており、それも独特の形だったが、東トルコアクダマル島のアルメニア教会の鐘楼(18世紀)や、アルメニアのエチミアジン大聖堂の鐘楼もアクダマル島の教会と似た形で、しかも双塔である。聖タデウス教会の鐘楼だけがこんな形になったのは何故だろう。
反時計回りに教会の周りを一周したが、浮彫を見ようと壁の近くで撮影したので、うまく写せなかったが、その中からましなもので巡っていくと、
新しい教会の南扉口のある壁面。上の黒い石でつくった文様は十字架?
尖頭アーチの壁龕には騎馬像、あちこちに天使がいて、その上には二段の装飾帯が続いている。
尖頭アーチにはパルメット文が並び、頂部には人間が表されている。
装飾帯には植物文様に混じって人物の他に動物や怪物が登場する。
詳しくは後日
その下の尖頭アーチには双頭の鷲や生命の樹が表される。
翼廊(でもないと思うが)を通り過ぎて、
やっと黒の教会 (古い教会 )が見えてきた。
黒の教会には装飾帯も聖人や生命の樹の浮彫もないが、
アルメニア人はキリスト教化する前はミトラ教を信仰していたので、多くの教会はミトラ神殿の上に建てられている。聖タデウス教会も同じだという。
上段の窓が十字架に組紐を付けている。生命の樹を表しているようにも見える。両翼の上には鳩のような鳥もいる。
玄武岩の黒と、白っぽい石(近くの山にありそう)で装飾するのは、同じアルメニア教会 が点在する、東トルコのアニ遺跡に似ている。
そういうと、十字架の付け根の区画の中は、白い正方形の石を斜めに配し、一辺がそれぞれ枠まで伸びている。何を表したものなのだろう。
黒の教会の南東角
やっと古い教会の八角形ドームが見えた。
白と黒の横縞だが、組紐の帯も入り込んでいる。塔の八角形の屋根はどちらも小さな切石積み。
周壁は防御のためだが、内側では部屋が並ぶ。南東角⑪高位聖職者の部屋
扉の上の浮彫には、これまでモスクや宮殿のタイル装飾にもあった十字形が並び、2つのアーチ形には組紐で十字架が表されている。
東正面
後陣は外に張り出さない。
この壁面も明かり取り窓を囲んだ十字架の装飾が見られる。やはり組紐の装飾があるが、これは全くイスラーム的ではない。
ところが、十字架の根っこにはイスラームでお馴染みの六角形と6点星の組み合わせが、タイルではなく色石で表されていて、アニ遺跡の大モスクの天井装飾を彷彿させる。
北東側より
ドームの移行部が外に出っ張っている。
明かり取り窓の装飾は南側と同じ。
3方向の十字架形の窓から祭壇へ光線が入るようになっているのは、太陽神であるミトラ教の影響という。
新しい教会の翼廊とその両側の壁面も南面と同じ装飾。
そして鐘楼のアーチから中へ。
鐘楼北西側の支柱
鐘楼の天井には交差ヴォールトの低い天井が架かっている。
聖堂前は一対のライオンが守っている。
ファサードでは植物文様のアーチの重なりが内部へと誘う。
しかし内部も修復の足場が組まれている。
新しい教会 の中央には4本の柱があり、
イスラームっぽい移行部がドームを支えている。
ここからは古い教会で、柵があってここから奥には聖職者しか入れない。後陣の半ドームも白と黒の横縞。小窓は東壁の組紐で装飾された十字架にある小さな開口部だ。
外からは移行部の角張った出っ張りが見えたが、内部はスキンチではなくペンデンティヴ。高いドラムの上に二色のドームが架かり、それを太い十字形のリブが支えている。外側は八角形なので、二重殻ドームということになる。
アルメニア教会には壁画の施されたものもあるが、この教会にはそれがない。
あるものといえば、ミフラーブのような不思議な壁龕があるが、その下にあるのはアルメニア語の銘文。
信者たちが刻んだ十字架くらい。
西入口から出る。
西側周壁の開口部から中に入ると⑭展示室。当時の作業室が並んでいた。
ある部屋には素朴なドームが。
ペンデンティヴで架構された正方形の部屋があり、
巨大な石臼が置かれていた。
ガイドブックと言わないまでも、リーフレットや絵葉書程度は売っていると期待していたが、ここでも他のイランの見学地同様、何もなかった。
タブリーズからマークーへ アララト山が見えた←
→アルダビールのシェイフ・サフィー・ユッディーン廟
関連項目
聖タデウス教会 の浮彫装飾
アニ遺跡4 セルジュク朝の大モスクには平天井
参考文献
「IRAN THE ANCIENT LAND」 MIRDASHTI PUBLICATION