お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2018年1月15日月曜日
アルダビールのシェイフ・サフィー・ユッディーン廟
朝郊外のホテル付近で咲いている花を撮影していると、頻繁に飛行機が上空を通過した。たまたま月を見つけて写したら、その内の一機が画面に入った。
写した花についてはこちら
本日はタブリーズからカスピ海沿岸の町アスタラへ移動。
雪の残る山々は標高3707mのサハンド山。
なんとも言えない地層。
そして見えてきた山はサバラン山に連なる山、
そしてこれが標高4811mのサバラン山。
金子氏によると、ゾロアスターはサバラン山でアヴェスタを記したという。
道路の近くには水辺の風景が。
それが段々となだらかになっていった。
アルダビールに入る頃には太めのショーンのような羊の群れ。中には赤毛も混じっている。
アルダビールは標高1351mの高原にある街だった。
金子氏によると、ゾロアスター教の聖地を意味するアルダビールが街の名になった。
現在ではテュルク系のアゼリー人の多い街という。
早めの昼食は豆のスープ。
郷土料理の刻んだアーモンドと羊の煮込み。これを細長い米と共に食す。
金子氏によると、シェイフ・サフィー・ユッディーンは、イスラーム神秘主義のサファヴィー教団をこの地で興した人物。サフィー・ユッディーンの名をとってサファヴィー朝教団となった。イスマイール1世はこの地で1501年にサファヴィー朝を建国し、タブリーズを占領、首都とした。その後首都はカズウィンに、そして、アッバース1世の時にイスファハーンへと遷していったという。
ちなみに神秘主義の修行者をダルヴィッシュという。このダルヴィッシュについて、ウズベキスタンでは貧乏という意味だと聞いていた。
その廟は、ユネスコの世界遺産の記事によると、イスラーム神秘主義スフィーの隠遁所として、16世紀初めから18世紀末に、イランの伝統的なイスラーム建築様式を用いて建設された。造営者たちは、限られた空間を最大限に利用し、素晴しい図書館やモスク、学校、霊廟、貯水槽、病院、調理場、パン工房、いくつかの事務所などを造りあげた。長老(シェイフ)の墓所へと至る敷地構成は、イスラーム神秘主義の7つの階段を示す7つの場面に分節され、8つの心構えを示す8つのドアで分けられる。また、著名な骨董美術の集成だけでなく、外観にも内部にも豊かな装飾が施されている。中世イスラーム建築の要素を結集させた希少な遺産であるという。
Google Earthより
強引なパノラマ合成で、その建物群を一望。
北端から入る。
N:広場には世俗的な店舗が並んでいた。
その先にチケット売り場。そばに非常にわかりにくい平面図があった。
A:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟 B:シャー・イスマイール1世廟 C:ムヒイー・アッドン・モハンマド廟 D:シャフニシン(アルコーヴの並ぶ部屋) E:アルフファズの家(カンディル・ハナ) F:チニ・ハナ(ハネガー) G:ジャンナトーサラ H:サハトまたはサフン(境内) I:シャー・アバシ門(非常に高い門) J:中庭 K:新チッラ・ハナ L:ハディースの家(ムタワリの家) M:庭園 N:広場 O:第2の門 P:主門 Q:シャヒドガー(墓地) R:マガベー(墓地)の中庭 S:シャー・イスマイール1世の母の廟 T:庭園の南側の部屋群 U:発掘された部屋群 V:サファヴィー親族の家 W:シャーバト・ハナ X:1995年に発掘された噴水のある池 Y:2006年に発掘された墓所の浴室 Z:2006年に発掘されたアシュ・ハナ
O:第2の門をくぐると、
細長いM:庭園
その先の門からJ:中庭へ、
続いてI:シャー・アバシ門を抜けて、広いH:サハトまたはサーンと呼ばれる空間に入った。
L:ダル・アル・ハデト
この小さなI:シャー・アッバース門から入ると、
平面図を拡大
A:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟 B:シャー・イスマイール1世廟 C:ムヒイー・アルドン・モハンマド廟 D:シャフニシン(アルコーヴの並ぶ部屋) E:アル・フファズの家(カンディル・ハナ) F:チニ・ハナ(ハネガー) G:ジャンナト・サラ H:サハトまたはサフン(境内) I:シャー・アバシ門(非常に高い門) J:中庭 K:新チッラ・ハナ L:ハディースの家(アル・ムタワリの家) Q:シャヒドガー(墓地) R:マカベー(墓地)の中庭 S:シャー・イスマイール1世の母の廟 T:庭園の南側の部屋群 U:発掘された部屋群 Y:2006年に発掘された墓所の浴室 Z:2006年に発掘されたアシュ・ハナ
目の前には窓の周囲と軒下にタイル装飾のある建物で、内部のD:シャフニシンとE:カンディル・ハナの室内装飾は驚き。上にドームのある円筒形の建物がA:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟。
浮彫漆喰の銘文があったがガラスのカバーで見えにくい。
拡大
右側はL:ハディースの家
正面から
扉は開いているが人気がない。
その反対側の平たいドームのG:ジャンナト・サラはサファヴィー朝第5代でイスファハーンに遷都したアッバース1世が建立、現在はファサードを修復中。
左端が入ってきたI:シャー・アッバース門。
組子が美しい。タイルも総てモザイクタイル。非常に手間をかけて造らせた建物である。
右イーワーン
靴を脱げば中に入れるようだが、別のところから内部を見学した。そこには驚くような大空間が待っていた。
ムカルナスとアーチネットの組み合わせはモザイクタイル
添乗員金子貴一氏は加えて、サファビー朝の起源となるイスラーム神秘主義のサファビー教団の祖シェイフ・サフィー・ユッディーンのほか、シャー・イスマイール1世らの棺が安置されているという。
建立時期は、『タイルの美Ⅱイスラーム編』は17世紀という。
入口上部の縦長イーワーン。
ムカルナスは部分的だが、これまで見てきた壁面同様モザイクタイルで覆われている。
タイル装飾については後日
入ってすぐの小さな天井にもモザイクタイル。もう蔓草文様ではなくなっている。
E:カンディル・ハナはムカルナスドームなのに頂部が矩形になっていた。
続くD:シャフニシンは文字通り左右に二層のアルコーヴが並んでいる。正面の門構え(ピーシュターク)と続きのイーワーンは、青と金そしてムカルナスの極楽のような空間が広がっていた。照明の色のせいもあるが、煌びやか。
その境界には金属性の柵が設けられているので、見学者や巡礼者たちが中央に集中して行き来するので向こう正面が見えないが、そこにシェイフ・サフィー・ユッディーンの柩が安置されている。
Dのアルコーヴの一つから向こう側の二階建てのアルコーヴを眺める。
上層は傘状のドームだが、下層の天井はムカルナスに矩形という組み合わせになっている。
ピーシュタークをくぐって、
奥のイーワーンへ。
その下から、円筒状のA:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟の内部が見えるようガラス張りになっていて、そこには木製の柩が並んでいた。イスラームでは地上には参拝するための柩を置き、地下の同じ場所に埋葬されている。
B:シャー・イスマイール1世の柩はひときわ豪華な細工が施されている。浮彫漆喰を寄せ木細工の幾何学形の中に嵌め込んだようだった。
そして奥壁には金箔の文様を貼り付けた紺色タイル。
イルハーン朝期に誕生したラージュヴァルディーナ(藍地金彩)と呼ばれる紺色や空色タイルに金箔で文様が表される技法は、その時代だけのものだと思っていたが、タブリーズのマスジェデ・キャブード(黒羊朝-白羊朝、1465年完成)の小イーワーンには亀甲繋文と植物文様が金箔で表されていたし、1524年に没したサファヴィー朝の建国者イスマーイール1世の廟にも、技術は劣るが、金箔による植物文様の装飾が見られる。
これをラージュヴァルディーナと呼ぶのかどうか分からないが、タイル+金箔という組み合わせは、連綿と受け継がれてきたようだ。
C:ムヒイー・アルドン・モハンマドの墓室をのぞく。
入口上の銘文
一族の柩
安置した床は珍しく緑色タイルが敷き詰めてある。
通路には絵付けタイル。
D:シャフニシンに戻る。シャー・イスマイール1世の肖像のあるアルコーヴ
その隣のアルコーヴからF:チニ・ハネ(ハネガー)へ。
イスファハーンのアリー・カプー宮殿最上階の陶磁器の間ではチャハール・イーワーン(四方のイーワーン)が、漆喰壁に陶磁器の形に切り込みがあったが、このチニ・ハネはそれよりもがっち高さがあり壮観である。
正方形の平面から八角形に移行せずに、大小それぞれ4つのイーワーンによって円形を導き、ドームを載せていてリズミカルな構成となっている。
反対側は修復中
上を見上げるとアーチネットとムカルナスを結合したような平たいドーム。8つの窓の周囲には文様が描かれた痕跡がある。
その下には陶磁器やが展示されていた。中国の明時代(17世紀)のものが多かった。
陶磁器については後日
イーワーンの一つの頂部を見上げる。
コーランも幾つか置かれていて、これは9世紀のもの。チェヘル・ソトーン宮殿にも9世紀のコーランがあった。
D:シャフニシンへ戻っていく。
E:カンディル・ハナとの境の壁もイーワーンになっていた。
この内部は漆喰に彩色という装飾で、タイルではなかった。
ところで、イスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿(1647年)の博物館で展示されていたこの象嵌の扉は、この廟内にあったもので、アッバース1世の時代にイスファハーンへ運ばれたものだというが、どこにあったのだろう。
A:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟の手前に置かれた石製の柩はS:シャー・イスマイール1世の母のものとされている。
繋のイーワーンの外壁にもモザイクタイル。
A:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟のファサード。モザイクタイルで荘厳されている。
左からA:シェイフ・サフィー・ユッディーン廟
C:ムヒイー・アルドン・モハンマド廟は正方形壁面からドームへの移行部の形が面白い。素焼きタイルを地に、空色タイルで幾何学文様を描いている。
そして奥の白いドームは、先ほど陶磁器形の切り込みのある8つのイーワーンが圧巻だったF:チニ・ハネ。
回り込んだところで素屋根の架かったB:シャー・イスマイール1世廟の小さなドームが見えた。
F:チニ・ハネとG:ジャンナト・サラ
Q:墓地
その周辺はチャルドランの戦い(1514年)で戦死した人々の墓地となっている。現在のトルコとイランの国境近くのチャルドランでサファヴィー朝建国者イスマーイール1世とオスマントルコのセリム1世が戦い、銃を持たないペルシア軍が敗れたのだった。
かなり広い敷地が墓地に当てられている。
F:チニ・ハネ
外から4方向に大きなイーワーンの半ドームが、その間の小イーワーンの外側には円筒状の出っ張りがある。
G:ジャンナト・サラ
アッバース1世が建立し。現在修復中の建物の裏側
外側に向かって2つのイーワーンが開かれている。向こう側にも2つあるのだろうか。
ドームの左端にはファサードの門構え(ピーシュターク)の裏側がのぞいている。
イーワーンの一つ
ムカルナスとアーチネットの組み合わせだが、折り紙のような凹凸がある。
周壁の浅いイーワーンには出土物が置かれている。
G:ジャンナト・サラのイーワーンはもう二つあり、その一つ。
こちらのイーワーンは、頂部に風車のような装飾、その左右に傘状の面がある。
Z:アシュ・ハナの発掘現場
巡礼者たちの宿泊所?
そしてY:風呂
聖タデウス(黒の)教会← →アルダビールからアスタラへ
関連項目
元明の青花(染付)
シェイフ・サフィー・ユッディーン廟 中国磁器のコレクション
シェイフ・サフィー・ユッディーン廟 モザイクタイル
タブリーズとヘイラン・コル峠で見た花
サファヴィー朝のムカルナスは超絶技巧
チェヘル・ソトゥーン宮殿
アリー・カプー宮殿
タフテ・スレイマーンのタイル
参考文献
「タイルの美Ⅱ イスラーム編」 岡野智彦・高橋忠久 1994年 TOTO出版