お知らせ

中央アジア各国そしてイラン旅行記が完成し、フランス南西部のオクシタニー地方の旅に入りました。
その中で気になるものについては、忘れへんうちにに記事を載せていきます。

2018年1月29日月曜日

サミラン砦


まだ太陽は出ていないが、青空に浮かぶ半月は少しだけ朝日に染まっている。今日は晴れ。

浜辺で日の出を待っていることしばし、6時1分にぽっかりと浮かんできた。
カスピ海南岸で日の出。でもこのくらいが限界、もう少し上がるとただの太陽になってしまう。
水鳥のはずなのに何かの上に座っている。これが巣?カイツブリかな。
浜辺には小さな貝殻が無数に打ち上げられている。
どれも同じ種類の貝のよう。記念に一つお持ち帰り。
この海岸で見た花についてはこちら
本日の朝食。酸っぱいチーズがないのが寂しい。昨日と同じくトマトたっぷりのオムレツ。そしてナツメヤシもスイカもなく、レーズンとメロン。

本日はバンダレ・アンザリーからアルボルズ山脈を越え、再びテヘランへ。

昨日見学したバンダレ・アンザリーは、橋の上から眺めて一瞬で去って行った。
ここでも田植えが終わったばかりの水田が広がっている。
ラシュトからセフィードルード川を遡る。
この周辺には遺跡が散在する。コブウシや円形切子碗などが出土したデイラマーンは一度行ってみたい土地だったが、かなり奥地にあるのでこの旅行では時間がないし、行っても遺構は埋め戻されて分からない。そう納得した。
『ギーラーン緑なすもう一つのイラン』は、この回廊の長さは約40㎞であるが、このわずかな間に乾燥地帯から湿潤地帯への変化を目の当たりにすることができる。高原側の入口にあたるマンジールでは、乾燥し、荒涼とした景色が広がり、「マンジールの風」で知られる渓谷を吹き抜ける強風が一年中吹いている。ここからわずかに渓谷に入った所が、ルードバールで、谷あいにオリーブ林が広がっている。不思議なことに、後にも先にもこの地域でしかオリーブはうまく育たない。高原からくる乾燥した空気とカスピ海からくる湿った空気が、ごく限られたこの場所に地中海性気候を生み出しているためであるという。
ルードバールの手前でトイレ休憩。
通路から中に入ると広い土産物屋が並んでおり、その一軒を写す。
床から高い天井までみごとに並んでいる。下の方はお菓子。上はピクルスの瓶。
ニンニクの黒酢漬けを瓶詰めは重すぎるので、量り売りで買った。
左は昼食に毎回出てくるニンニクの漬け物(とガイドのレザーさんは表現する)で、テヘランのスーパー量り売りで購入。
でもオリーブ林はどこ?

セフィードルードダム湖までやってきた。
セフィードルード湖畔でタクシーに乗り換えることになっている。その待ち時間にセフィードルード湖を写す。発電風車がこんなところにあるとは。

ルードバールからサミラン砦へ。
Google Earthより
サミラン砦目指して出発。斜面にはオリーブが栽培されている。木がまだ若い。
水面すれすれにもオリーブ林がある。
またしても現れた古代テチス海の地層
初めは舗装された道だったが、段々と悪路に。

30分以上車に揺られて到着。
Google Earthより
Google Earthで見るよりも湖水が多い。あちこちに建物の残骸が散在している。
ガイドのレザーさんは、サミラン砦とは、ヨーロッパの人がアサシン派と命名したの拠点とされているが、実際はハッサン・サバーフという965年に生まれ85歳で没した11世紀の人物の名前が、ハシーシそしてアサシンへと変わっていったのだと言う。
添乗員の金子氏は加えて、ハッサン・サバーフは、エジプトのファーティマ朝で興ったニザール派のペルシアでの指導者で、イランのセルジューク朝やシリアに侵略した十字軍に抗議して暗殺もしたことから、アサシン派とも呼ばれるが、それはただの伝説だという。
Google Earthで見ると、かなり東方のアラムートの山上にハッサン・サバーフの城というのがあり、発掘調査もされていて、見学もできるようだ。
左中景には城壁らしきものが続き、右には小さな建物が幾つか。
一番大きな建物は右端のドームのあるもの。左下にも小さな建物(墓廟)が並ぶ。
古代テチス海の地層を歩く。
下方にイマームザーデ廟(シーア派の聖人廟)。
通路の左右に墓が露出して散らばっている。
ドームの頂点と尖頭アーチのイーワーンがずれているような。
ドーム移行部。ムカルナスとアーチネットの組み合わせで、素朴な造りだが、それほど古いものではなさそう。
回り込んで尖頭アーチが並んでいる。
狭い部屋から入る。
尖頭アーチの後方に正規のし入口があるらしい。
中に入る。聖人廟なので、ここでも靴を脱いだ。
前室のドームは抜けていて修復中。四隅のムカルナスと四面のアーチの上、そしてそれぞれの間にもアーチ形をつくって十六角形にし、円形を導いていたようだ。
主室のドームは八角形からドームを架けているが、
四隅のムカルナスは薄い漆喰壁で本来の機能を持たず、壊れてもドームは支えられている。
ドームの聖人の柩。今でもお参りに来る人がいる。
少し下の位置から見上げると、

聖人廟の近くにはこぢんまりして廟が3つ。
1つ目は一番広そうだが、上部構造が全く残っていない。
上から見ると
南から見ると
そしてその中は。
ムカルナスの痕跡が。

2つ目は入口のイーワーンが残っている。
上から見ると低いドームと入口イーワーンの構成がよく分かる。
イーワーンは縦長のムカルナスとアーチネット
右壁
ドーム室は四隅のムカルナスと四壁の尖頭アーチの上に円形を導いている。小さなドームなら、このような簡便な方法で架構できたのだろう。
このムカルナスは構造体。

3つ目は南北の壁の一部が残るのみ。
上からは奥壁もあったことが分かる。

その向こうにセルジューク朝の王の廟とされている八角形の建物があるが、推移が高いので渡れない。
墓廟は各角に付け柱があり、柱と柱の間の平面は上部に変形の尖頭アーチの装飾が2つ。
更に下っていく。
右手には別の墓廟
この墓廟は、八角形で付け柱の間には変形の尖頭アーチの装飾が2つの浅い壁龕が上半にある。
移動するとそれぞれの別の面が見えてくる。
ドームが少し残る方は入口が見えたが、近い方には同じ側に入口はない。
城壁は水の向こうに
左上にも別の遺構が。
回り込むと、地続きに城壁があるのだった。
頑張って登り続けると、
城壁を積み上げる工夫がうかがえる。ほぼ等間隔に木材が嵌め込まれていて、
石材の積み方もいろいろ
ここが一番高い場所。
城壁は下の方にも。
セルジューク朝の王の墓廟は入口が2つあった。
来し方を遠望する。
その右へ
更に右へ目を移すと、先ほどの遺構が。
これも八角形の墓廟だろうか。
八角形の墓は、王またはそれに近い高位の人の墓廟かな。
セフィードルード湖を眺める。アルボルズ山脈の緩やかな谷あいに位置している。
ダム近くのマンジールの町へ。
ジャドゥリ・レストランで昼食
ドゥーフ(薄い塩味のヨーグルト飲料)、ニンニク入りヨーグルト、野菜サラダ、そしてスープ。
牛肉の煮込みとライス

午後は高速道路1号線へ、
どんな山越えになるのだろうと期待していたが、こんな崖が迫ったり、
崩れた斜面もあったが、
やはり大陸である。トンネルもあったが、それほど高低差を感じることもなく、
色とりどりの山を眺めて、
いつの間にか平地に来ていた。
カズウィーンの手前で高速道路2号線に入り、サービスエリアで休憩。
スパイスの店など。
レザーさんは要望をちゃんと覚えている人だった。イラン音楽のCDが欲しい人たちを連れて外にあるこの店へ。
私は、パサルガダエのチャイハネから聞こえてきたハーフェズの詩を歌っていた歌手のCD購入。2枚組で70.000レアル、約2$強。
また建物に戻り、欲張ってアイスクリームもゲット。
バスの中でいただきました。40.000リアル。
カズウィーンの街は、外側を高速道路で通過しただけだが、レザーさんによると、前7000年に農村の跡があり、カスピ海とペルシア湾のへの交通の要衝だったので、たくさんの遺跡がある。後250年頃にシャープール2世によって建設された街が現在に至っているという。一路テヘランへ。
30分ほど走ったところで、不思議な突起を発見。結局何かわからなかったが。
更に30分。アルボルズ山脈の雪山が見えてきた。
その30分後には二階建ての列車がテヘランに向けて走っているのに追いつき、追い越した。
ダマーバンド山は前に見えていたらしいが、後方の席だったので写すことはできなかった。イランに到着した日に宿泊したラーレ・インターナショナル・ホテルに到着。
夕食前に本屋へ。
到着した日にGanjnamehシリーズを2冊買い、タイルの本を頼んでいたのだった。しかし、本は入荷せず、Amasonで買うように言われた。

     マスーレ村←    →イラン国立博物館1 青銅器から鉄器時代

関連項目
ギーラーン2 土偶と金製品、装身具
ギーラーン1 コブウシ
アスタラ、マスーレ村とアンザリーで見た花

参考文献
「ギーラーン 緑なすもう一つのイラン」 1998年 中近東文化センター