お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月4日水曜日

3日目-1 8時には三陵(サンヌン 삼능)へ


6時に起床。今日もいい天気。
朝食に行く。
アンニョンハセヨ
アンニョンハセヨ、チケットをお持ちですか?
食事なしの予約だったんですが、朝食を食べたいんですが
どうぞこちらは暖かい料理が並んでいる。1階なので普門湖は見えないものの、庭園を見ながらゆったりした気分で食事をする。おっちゃんは食べる。洋食・韓食いろいろ盛っている。そして、3皿目。果物も取っているので最後かと思ったら、サラダも大盛りだ。昨夜買った水はほとんど飲んでしまったので、またコンビニで買い足そうとホテル近くのコンビニに行ったら閉まっていた。
24て24時で閉まるという意味?しかたがないから、高いけど冷蔵庫のミネラルウォーターを持っていこう
フロントに行ってみる。タクシーは呼んであるだろうか。
大丈夫です。三陵から南山の頂上に登って統一殿へ下りるコースは4時間かかります。
我々は、七仏庵も行きたいんですが、時間はどれくらいかかりますか?
七仏庵まではここから1時間半かかります。もう7時20分ですが、準備はできましたか?
えー、ゆっくり食べ過ぎた!慌てて準備をしていらちの私は先に部屋を出た。後で降りてきたおっちゃんが叫んだ。登山靴履いてないよ
あちゃ~、また部屋に戻りロスタイムはかさむ。(前に撮ったのでコンビニは開いています) やっとリュックと共にタクシーに乗り込んだ。
じゃあこうしましょう。同じ運転手に迎えに来てもらいます。リンゴ園が見えたところでホテルに電話して下さい。ホテルから運転手に電話しますから運転手に聞きながらホテルマンは提案してくれた。助かる!

平日なので渋滞でもあるかと思ったが、何の問題もなかった。4号線から芬皇寺の東側の通りに入った。あっという間に味呑寺三層石塔は過ぎ去り、高架になって右カーブに。高架だと思ったら鉄道を越えていただけか。
どんどんスピードを上げて通った道路は、昨日慶州博物館から南山へ自転車でなかなか通過できなかった道だった。上り坂になって左カーブ、そのまま直進して交差点で止まった。坂を登ったのにこんな平地があるや。
信号が変わると左折して南山方面の道に入った。平坦なまっすぐな道が続いていたが、まもなく
停車した。8時には着いていたと思う、13.200W。
サンヌン 삼능
カンサハムニダ
電話携帯をかける仕草をする
イエイエ。アンニョンハセヨ
アンニョンハセヨ
運転手は行ってしまった。イエイエはハイハイという意味。アンニョンハセヨは、こんにちはにもさよならにも使えて便利。広い駐車場があった。付近を見回すとトイレもある。

現在地に南山の大きな案内図があった。
とりあえず、三陵渓を石仏や磨崖仏を見ながら頂上まで登ていこう この近くに拝里(ペーリ 배리)石仏立像(9番)があるらしいけど、屋根が架かってよう見えへんらしいし、見んでええよ。三陵の向こうに独陵(トンヌン 독능)もあるけど、時間がかかるからパスしよう
七仏庵は一般コースからはずれるので、それが気がかりだった。慶州へ行こう三陵(サムヌン)、独陵(トンヌン)で、南山三陵渓(サムヌンゲ 삼능계)は磨崖仏などの仏蹟の多いところであるが、その谷の名前の元となった三陵とは谷の入り口に三つ並んだ古墳のことである。それぞれ神徳(シントク 신덕)、景明(キョンミョン 경명)、阿達羅(アダルラ 아달라)の王の陵とされる。神徳、景明は10世紀初期の王で、阿達羅は2世紀中頃の王とされるという。えらく年代の違う王の墓が一列に並んでいるんだなあと思ったら、陵の名前と実際に葬られている人が同じかは別問題である。4つの墓はすべて新羅後期の形式の横穴式石室墳であるともいう。4つとは独陵も含めてのことだが、平野部に造っていない点、横穴式になっている点から、2世紀の阿達羅王の陵墓でないのは確かやね。
供物台が1つ1つに置いてなくて、一番前の神徳王の陵墓の前に並べてあるのが不思議、8:18。陵の前にあるのは供物台ではなく、魂が泊まる場所という意味の魂遊石だそうです。これについては、4日目-5 大陵苑(テヌンウォン 대릉원)で味鄒王陵と天馬塚 へ。

※参考サイト
慶州へ行こう三陵(サムヌン)、独陵(トンヌン) 

しかし、拝里(ペーリ 배리)石仏立像(9番)は新羅時代の最古級の石仏でした。 それについては新羅時代の石仏には驚いたに書いています。