お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月27日金曜日

4日目-8 路西里古墳群は瑞鳳塚(ソボンチョン 서봉총)と金冠塚(クムクァンチョン 금관총)しかわからない


路西里の入口へと向かっていると、柵の向こうに削られた古墳が見えた。 
説明板は、ここ路西洞の広い平地には規模の異なる古墳が10基余りある。路東里の鳳凰台古墳とときにその規模において双璧を成す第130号の古墳をはじめ1921年偶然金冠が出土され、人々を驚かせた金冠塚、1926年スウェーデンの皇太子クスタフ・アドルフ6世が発掘調査に参加して金冠が出土された瑞鳳塚、1946年高句麗の広開土王の名字が刻まれた青銅器が発見され、新羅の古墳に対する年代の推定に参考となった壺杵塚、その他、銀鈴塚、双床塚、馬塚などがある。これら古墳のなかで大抵封墳(盛り土をして作った墓)が大きいものは積石木槨墳であり、小さいものは石室墳と竪穴墳である。1984年の新羅古墳の整備・保存事業の一環として、民家を移転して現在のような形にしたという。入口を入ると、さっきの古墳が違った形で見えた。これが金冠塚らしい。これが円墳だった時にはかなり大きなものだったのではないだろうか。こんなに削られても金冠だけでなく金製品や馬具など豪華な副葬品が残っていたのは積石木槨墳だったからだろうが、豪華なものを副葬することがなくなってしまった時代には、ただの塚としか思われず、宝物が埋められていることすらわからなくなっていたのだろう。
金冠塚の出土品についてはこちら そして向こうの大きな古墳の前には一段高くなったところがあるが、これが瑞鳳塚。わかりにくいが、平面が瓢箪形の古墳である。瑞鳳塚の副葬品も国立慶州博物館で見た。瑠璃色のガラス杯や釧・首飾りなど。瑞鳳塚だけ黒い石碑があった。
瑞鳳塚の出土品についてはこちら ここにも瓢箪形の古墳がある。名前はわからない、未発掘。隣に緑の輪っかがあるようにも見えるなあ。円墳があったのかも。 瓢箪形古墳の右に見えた小さな円墳は、近づくと石碑があったが、ハングル文字でわからなかった。未発掘の古墳。
一応西端まで行ってみたはずだが、瓢箪形古墳の裏にある小さな馬塚は写真に撮っていない。残っていないのかも。 瓢箪形古墳の東にある小さな円墳で未発掘。2つの間に小さな塚が見えるのは、銀鈴塚か双床塚かも。こんなところの木陰にも休んでいる人がいる。 そしてこれが鳳凰台と双璧を成す大きさという第130号墳で未発掘。 場所が確認できなかった壺杅塚の出土品についてはこちら