お知らせ

エジプト旅行の記事を始めます。 興味を惹かれたものについての詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
ラベル 石造 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 石造 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月21日金曜日

ダハシュール スネフェル王の屈折ピラミッド


古代エジプトで最初に造られたピラミッドはサッカラにある第三王朝二代目のジェセル王の階段ピラミッドだった。しかもそれまでの王墓・王妃菩薩がマスタバと呼ばれる日干しレンガを積み上げた台形の墓だったが、階段ピラミッドは石材を積んだ最初の王墓でもある。
その後石積みのピラミッドが造られるようになったが、時代が下がるとまた日干しレンガで造られるようになる。
それがアメンエムハト三世(中王国時代第12王朝6代目)の日干しレンガを積んだピラミッドで、ダハシュールの赤のピラミッドと屈折ピラミッドの近くにあるので、崩れピラミッドに見紛いそうだった。

『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』は、階段ピラミッドから四角錐の真正ビラミッドへと、その形を変革したのは第三王朝最後の王フニと、その息子で第四王朝の最初の王スネフルである。スネフルは父が未完のまま残したメイドゥムのピラミッドを、最初の真正ピラミッドとして完成させた。現在は表面の化粧石が基礎部分に残るだけで、内部の力壁までの石材は後世の建築物に流用されたと考えられている。
さらにスネフルは、ダハシュ-ルに傾斜角が途中で変化している通称「屈折ビラミッド」、素材の石灰岩が赤みをおびている「赤ピラミッド」 と、少なくとも3基のピラミッドの造営を試みているという。
今回はメイドゥムのピラミッドは見学できなかったが赤のピラミッドと屈折ピラミッドは内部まで見学できた。そして両者からは崩れたが見えた。

屈折ピラミッド近くから見たアメンエムハト三世のピラミッド


屈折ピラミッドの構造 『エジプトの教科書』より 
『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『古代エジプトの教科書』)は、下部の傾斜角度約54度に対し、上部の傾斜角度は約43度しかなく、その名の通り、途中で大きく屈折しているのが特徴である。下部の急角度のまま積み上げられると崩壊の恐れがあるため、途中で設計変更をしたと言われているが、解明されていないという。
屈折ピラミッド及びその構造 神秘のミステリー! 古代エジプトの教科書より


同書は、壁面が白く装飾されているが、ピラミッドはもともと白い石灰岩の化粧石で覆われており、日の光を受けて輝いていたといわれている。
底辺部の1辺188.6m、高さ101.15m、化粧石の残りもよく、独特の風貌に美しさを加えているという。
駐車場から北面と西面との角に向かって進み、

角は補修するのだろう。

地面に転がっていた石ころたち。白いのは化粧石だろう。



反時計回りに西面へ。
化粧石が剥がれたところでは、ほぼ均一な大きさに切り出された石がむき出しになり、やがて崩落していっている。
西面にもう一つの入口があるそうだが、写真には写っていない。

西面と南面の角もかなり崩れていたが、


南面の化粧石はよく残っている。

その先にあった衛星ピラミッド
わざわざ周壁を出っ張らせて造られているので、ヘテプヘレス王妃が葬られているのかも。
この衛星ピラミッドは見学できないみたい。

ピラミッド南面
屈折させた箇所が化粧石でくっきりと分かる。

ピラミッドの前の穴にも石積みが。当初はこれもピラミッドの一部で、数千年の砂礫の積み重なりに埋まっていたのかも。

南面東角
やっぱり角は弱いね。

東面へ回っていくと、

何やら祭壇のようなところでしゃがんでいる人がいた。
先ほどの図の礼拝堂と二基の石碑

祭壇の下には石を削って何かの液体を受けるような穴が。犠牲の動物の血とか。

斜路のようなもの

その背後には化粧石

左右対称になっていたので、南側にも斜路などはあったけれど、焼かれて炭化したような形跡が・・・。小さな切石ではなくて日干しレンガが積まれていたからかな。

手前の壁は厚さ1m以上あったようで、礼拝所と称されるくらいの規模だったのだ。

東面の北側は化粧石がよく残っていて、

こんな風に本体の積み石にどのように化粧石が組み込まれていったかがうかがえる箇所もあった。


東北面の角


北面に回るとピラミッド内への入口があった。


正面から見ると三階建ての木製階段を上っていく。

高度を増すに従って(というほどの高さでもないが)見上げていた化粧石と同じ高さになり、

落下した積み石、抉れた化粧石などを見てきたが、その石灰岩の白い化粧石も風化が進んでいた。



屈折ピラミッドの内部構造 
地上の入口から長い下降通路はやがて地下まで達している。
ダハシュール 屈折ピラミッドの内部構造 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


やっと上ったのに、内部に入ると飽きるほど長い下降斜路、ちょっと気が緩むと頭を天井に打ち付けてしまい、しゃがんで進んむうちにまた気が緩んで頭を打ち付けることの繰り返し。とても撮影する余裕がなかった。
下りきったのに、次はこの階段を上り返すことになるとは。
上図では階段を下りきった辺りというか階段の下に下部玄室があるようだが、見逃したのだろう。

この階段の上方はクフ王のピラミッドのように持送り構造になっている。

その後はやや下ったかと思うと、再び急な階段を上らねばならなかった。

上り階段はまだつづいて、終わるとこんな通路になっていた。

その先はT字路


その分岐点で右側を見ると、左右の壁と天井がこれまでの通路よりもきっちりした切石が組まれているが行き止まり。

前室だろうか。


左の通路も切石で造られていて、その先にまた階段が待っていた。

階段を上り詰めた先に、


やっと玄室があった。

その天井はかなりラフな持送り構造。石垣でいうと野面積みみたいで、図で示された持送りのようには思えない。

そして玄室

木材が数本梁のようになっていて、向こう面には3本の柱が石の中に入れられている。床面は切石が敷き詰められているが、ここに石棺があったのだろうか?



                   →ダハシュール スネフェル王の赤いピラミッド


関連記事

参考文献
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫編 1998年 河出書房新社
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社


2026年8月7日金曜日

サッカラ 階段ピラミッド複合体2 セルタブと石棺


サッカラのピラミッド複合体見下げ図(説明パネルより)
見下げ図(現地説明パネル)
➊周壁 ➋入口(現在ではここからしか入場できない) ➌列柱廊 ❹中庭 ➎セド祭のマーク ❻ジェゼル王のピラミッド(第3王朝2代目) ➐セド祭の中庭 ❽南の礼拝室 ❾北の礼拝室 ❿セルタブ ⓫葬祭殿 ⓬北側入口 ⓭石棺の竪坑への通路 ⓮地下貯蔵庫 ⓯ウセルカフ王のピラミッド(第5王朝最初) ⓰ウナス王(第5王朝最後)のピラミッド


ジェゼル王の階段ピラミッド立面図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
ジェゼル王の階段ピラミッド立面図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

ピラミッドの東壁は上の図のように、一番外側が初めの4段のピラミッドの薄い壁で、少し抉れると増築部分が露出する。

地下への新たな通路が発掘されたのだろうか。階段状のものが見える。向こうの壁は、左手が規則的に切石を並べているのに対して、右側は川石を乱雑に積んだように思える。

近年の補修による切石の右側はマスタバ墳の増築部分が露出しているのかな。形の異なる大きな切石が斜めに重なっている。
その後河江肖剰氏のユーチューブ【完全保存版】巨大ネクロポリス“サッカラ”の遺跡群をエジプト考古学者が巡る(階段ピラミッド・南の墓・考古学・歴史・遺跡・ミステリー・古代文明)で、内部の石を斜めに積むことで、外側の壁が崩れないようにする工夫だとわかった。


遠方に➒北の礼拝堂が見えてきた。

❽南の礼拝室は入口の上部が残っていたが、こちらは残っていない。入口の左右の付け柱が左右対称になっていないのは同じ。


パピルスの柱頭のある3本の付け柱は等間隔に並んでいる。

右の柱頭の頂部の膨らみが上に石材を載せるためのものではなかったことを表している。
しかし『ANCIENT EGYPTIAN ARCHITECTURE IN FIFTEEN MONUMENTS』(以下『AEA』と省略)はこれは付け柱ではないという。
それについては後日忘れへんうちににて 


北面に回り込むと前方の崩れた石積みよりも気になるものが目に入った。

それは➓セルタブと呼ばれるジェセル王の石像が安置された石造の部屋だった。

10数年前に見学した時はピラミッドに近づけなかったので、今回は非常に楽しみにしていた。ところが何と、こんな写真しか撮れなかった。もっとガラスに近づいていたらジェセル王像が写せたのに。ガラスに反射した遺跡を背景にした私の手とカメラだけとは・・・


この二つの穴からも中が覗き込める。像はレプリカだけれど。


ところがカメラの調子が突然おかしくなり、液晶モニターには何も写らなくなってしまって、どう写るかも分からずシャッターを切った。右の穴は2枚ともピンボケだったが、左の穴からは右上半身が写せた。


もう1枚は顔は写ったが腕がない。後日博物館で本物が見られることを期待しよう。
もっとも、本来この二つの穴は、人がジェセル王像を見て礼拝するためのものではなく、ジェセル王像が北極星を眺めるためのものだったという。


石積みの遺構を避けて蛇行しながら⓫葬祭殿へ向かう。

石壁はどんどん低くなる。



北側を望めば瓦礫を積み上げたようなウセルカフ王のピラミッド
(第5王朝初代、前2494-)

遠望するとサッカラのネクロポリス群やアブシールのピラミッド群


⓫葬祭殿
もっと高い建造物があったのだろう。

説明パネルの見下げ図の向きを変えるとこんな風になるが、葬祭殿というのがどんな祭儀をどのように執り行ったのかが、この図から見えてこない。


それはともあれ、葬祭殿の中に北の入口があった。
ここは滅多に見学できないそうだが、幸いカイロ~天使たちの暮らす街~さんのサッカラ階段ピラミッドの地下の間に入場その1で内部の様子が分かります。こんなに青緑色のファイアンスタイルが貼られていたとは!

ここの説明パネルにはこんな写真があった。
ジェセル王の花崗岩製墓室上部に刻まれた碑文
この写真は、エジプト大博物館保存センターとの協力のもと、RTI(リアルタイムイメージング)法を用いて撮影された。


階段ピラミッドの北西角へ。

西壁に沿ってひたすら歩く。右手地下には⓮貯蔵庫がある。


南西角から南面へ。


中庭にあるD字形のものはセド祭で王が走る範囲を示すもの。

そして、南壁には第26王朝時代(前575-644年頃)に設けられた入口で、⓭石棺の竪坑への通路となっていて、今年限定で石棺が特別見学できる。
階段を下りて、

平らな通路へ。


途中で列柱の左側から右側へ変わって、

やがて竪坑へ辿り着いた。早速のぞき込むと、白い石(花崗岩ということだったが)が並んでいた。深さが28m

少し拡大すると、木材が所々に使われている。

位置を変えて撮影。周囲の壁に一つずつ通路がある。石棺の高さは3mという。

北東の通路は下り階段のよう。

器のようなものがある北側が頭部だと思った。

白い石には文字らしきものが線刻されているようだ。
それより気になるのが玉子の殻状のもの。

これは土器か、それとも極薄に削った石か。棺の蓋にするものではないだろう。内部にも石が入れられているみたい。


北壁に壁龕のようなものがある。

壁龕の中は階段状になっているようだ。

もっと上の方を見上げると、補強のためと思われる木があちこちに渡してある。

創建当時のものだと思いたい。

交差している木材も。



                   →ダハシュール スネフェル王の屈折ピラミッド


関連記事

参考サイト

参考文献
「世界遺産を旅する12 エジプト・アフリカ」 1999年 近畿日本ツーリスト
「吉村作治の古代エジプト講義録上」 吉村作治 1996年 講談社+α文庫
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫編 1998年 河出書房新社
「ANCIENT EGYPTIAN ARCHITECTURE IN FIFTEEN MONUMENTS」(AEAと省略) FELIX ARNORD 2022年 The American University in Cairo Press