ホテルがギザ地区にあったともあって、すぐにピラミッド群が見えてきた。ただ、十数年前からは想像できないほど自動車道が整備されていて、あっちへ回り、こっちへ引き返しながら近づいて行った。
左がメンカウラー王のピラミッド、右がカフラー王のピラミッド。クフ王のピラミッドは写っていない。
ギザのピラミッド群 Google Earth より
A Bクフ王のピラミッド複合体 Cカフラー王のピラミッド複合体 Dメンカウラー王のピラミッド複合体
手前がメンカウラー王のピラミッドと王妃のピラミッド群、奥の頂部に化粧石が残っているのがカフラー王のピラミッド。カフラー王のとメンカウラー王の河岸神殿への参道が、ナイル川の方に伸びていて、河岸神殿は隣接しているように見える。
クフ王のピラミッド複合体
『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『古代エジプトの教科書』)は、クフの大ピラミッド複合体は、前王スネフェルのピラミッド複合体に比べても大規模な葬祭神殿をもち、ナイル川と参道をつなぐ河岸神殿、 衛星ピラミッド、三人の王妃たちのピラミッドによって構成される。大ピラミッドの東側には王族のマスタバ、西側には高官のマスタバが規則的に配置されている。
大ピラミッドの東側に並ぶ3基のピラミッド。2基がクフの王妃、北側1基がクフの母でスネフェルの妻ヘテプヘレスのものである。
葬祭神殿は一辺の幅が50mを超える大神殿だったが、現存するのは黒色玄武石の床の一部や花崗岩の柱の受け口のみであるという。
葬祭殿の両側には太陽の船と第2の太陽の船竪坑。参道にも船の竪坑があるし、王妃たちのピラミッドの間に二つの船の竪坑があるし、クフ王のピラミッドの南にも二つの船の竪坑がある。
メンカウラー王のピラミッド複合体の河岸神殿に続くナイル川の際にあったピラミッドタウン
ギザ台地の南東の隅に位置する「ヘイト・エル・グラブ(アラビア語で「カラスの壁)」は、ピラミッド建設者とその家族を住まわせるために国家が建設した集落。。集落の中心部は四つの長屋群で構成されている。これらは細長い長方形の建物で、台地に出入りする作業班の宿舎として機能している。
これらのギャラリーの南側には「王室管理棟」があり、そこでは管理官たちが建設工程の監督、亡き王の崇拝儀礼の管理、そして集落全体の円滑な運営を行っている。この建物の先には広大な二つの居住区が広がっているが、それらの無秩序な配置は、この集落が世代を超えて自然に発展していった様子を物語っている。
ヘイト・エル・グラブでは、膨大な数の穀物庫、パン焼き所、食品加工施設が発掘されており、ピラミッド建設者たちに必要な物資をすべて供給しようとする国家の姿勢がうかがえという。
ナイル川-エジプトの大動脈 (図面・文共に館内の説明パネルより)
ピラミッドの内部構造に使われた石材の多くはギザ台地で採掘されたが、外装に使われた良質な白い石灰岩は、ギザから約30㎞離れたトゥーラから運搬する必要があった。その他の資材も、南はアスワン、東はシナイ半島といった遠方から運ばれてきたという。
船はレバノン杉でつくられているのだろうか。石材と木材(ナツメヤシ?)を運んでいる。
説明パネルは、巨大な石塊の運搬は、最大の難題だった。古代の建設者たちは、石塊を簡素な木製のそりに載せ、パピルス製のロープで牽引するという方法で、この問題を巧みに解決した。そりを円滑に進めるため、その進行ルート上には、動物の脂と粘土を混ぜ合わせた滑りやすい混合物が撒かれたという。
以前に車輪の起源をしらべてみたところ、エジプトでは物資を運搬する荷車の本格的利用は、新王国時代以降のことでありヒクソスによってもたらされたとされる(『古代オリエント事典』より)ということで、クフ王の時代はまだ車輪はなかったのだ。
ミイラ作りの様子説明パネルは、ギザ台地では、巨大な墓所建築の初期の発展だけでなく、ミイラ作りといった工程の発展も見ることができるという。
説明パネルは、ミイラ作りの過程では、肝臓、腸、胃、肺が取り出され、個別に保存された。これらは、死後の世界で魂が食事をしたり呼吸をしたりするために必要だと考えられていたから。一方、思考や感情の宿る場所とされた心臓は体内に残され、脳は廃棄された。
ヘテプヘレス王妃の臓器は、当初は「臓器収容箱」に直接納められていたが、やがてここに示されているメレスアンク三世の王妃のもののような「カノポス壺」へと発展していった。ファラオ時代後期になると、これらの壺は「ホルス神の4人の息子」と結び付けられるようになり、彼らはそれぞれ、自身の担当する壺に収められた臓器を守護するとされたという。
見学後は専用バスでクフ王のピラミッドまで(背景がこのセンター)。
あちこちに物売りのおっちゃんがいるが、買うつもりがないなら知らん顔をすれば大丈夫。
下写真の人が途切れているところを2段、やや下がり気味に進むと入口に着く。上の方が本来の入口だが、盗掘者が掘り進んだ右下の穴から入って行く。本来の入口
『古代エジプトの教科書』は、入口の裏にも未知の空間があるという説があり、この空間は大回廊へ続くのではないかともいわれるという。
これは、2026年3月14日の「世界ふしぎ発見」という番組で、内視鏡で、中に奥行9m高さ2mの空間はあったが、奥は閉じられて、小さな部屋という感じだった。
クフ王のピラミッドの内部構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
❶現在の入口 ❷正規下降通路と盗掘者の掘った通路の交点 ❸上昇通路 ❹水平通路との交点 ❺大回廊 ❻控えの間とされる低く長い通路 ❼玄室
その前に左下の穴をの穴をのぞき込む。これが❷建設時の下降通路
『古代エジプトの教科書』は、大回廊西側にある竪坑(垂直に掘られた通路)で、下降通路につながる。古代において上昇回廊を封印した人が、脱出するためのものだともという。
❸正規の上昇通路。ここからは天井が低くなる。
❹やっと高さ9m長さ48mの大回廊へ。
ここだけ通路が二手に別れているのは、混雑を避けるためかと思ったが、ひょっとすると王妃の間への❹水平通路の始まりかも。
クフ王の父スネフェル王が造った赤いピラミッドでこのような持送り天井の所は部屋だったし、その前に建造された屈折ピラミッドでは持送り天井というものが不完全だった。それがクフ王のピラミッドでは大回廊と呼ばれている長い斜路に用いられている。
やがて長かった大回廊も終わって、
入る人と出る人で混雑している。
しかも長~く低~い通路で、これが❻控えの間とは。
入口奥の壁際の天井には、クラックを留める鎹があった。
『古代エジプトの教科書』は、部屋の上部に重量軽減の間を設けたが、重量を拡散しきれずにひび割れているという。
そして振り返れば玄室の中。
この男性は娘さんにいろんなポーズを取らせていた。
前回は欧米系の女性が仰向けになって歌を歌っていて、それを見て棺にしては小さいなと思ったものだった。
棺の縁は欠けたり、摩滅したりしている。
これだけの空間なのに石棺が小さすぎると今でも思っている。
帰りは同じ通路を通って行った。ギザのピラミッドは大きいが、内部の見学は小柄な人向きです。
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参考文献
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社
「古代オリエント事典」 日本オリエント学会編 2004年 岩波書店
参考にしたもの
現地説明パネル





















































