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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年7月1日火曜日

5日目-2 達城(タルソン 달성)で城壁巡り

入って左にある郷土歴史館にまず入った。達城から出土した土器などが展示されていた。
達城公園のパンフレットは、慶州の月城のように平地にある低い丘陵を利用して築城したのが特徴で、青銅器以来、地方の中心勢力をなしていた集団が、生活根拠地に建てた城廊だったと思われる。城壁の下の層には貝塚遺跡があり、木柵の痕跡もある。
三韓時代に部族国家をなした達句伐の城跡といわれ、韓国城郭発達史上、最も早い時期に現れた形式の一つとして評価されている。
三国史記には新羅・沾解王15年(261)に達伐城を積み、奈麻の克宗を城主にしたという記録がある。新羅に合併した後には、軍事要地として重視され、その後、高麗恭譲王2年(1390)、土城にさらに石築を積んだ。朝鮮宣祖29年(1596)に石築をさらに行い、慶尚監営をここに置いた。城壁は主に土で築造され、周囲が約1.300m、高さが約4mある。
達城公園は、高麗時代の中半以後、達城徐氏が代々暮らした私有地だった
という。歴史館を出て左に突き当たるところから城壁跡を歩くことにする、12:11。歩いてきた外側の道路に沿って歩くことになるのだが、木が茂っていて、道が見えない。 あちこちにベンチがあって、現在では市民の休息の場となっている。結構高いね
10mくらいあるね
どこからでも歩ける城壁などとアホな想像をしていたものだ。それでは守れへんやん。
版築だと思うが、それが見えるところがなかった。韓国古代山城探検!大邱達城(대구달성)~三国時代初期の城郭は、平地の丘陵地帯に版築で突き固めた土手が、1.3㎞に渉って町をぐるりと囲んだ状態がよく残っているという。多少高くなったり低くなったり、右に左にカーブを描きながら城壁は続いている。この辺りは内側にも高い。
この辺が一番高いかも。ここから下り坂。石段を下りていくくらいの傾斜がある。
慶州月城の土城も、このように後代の石垣の跡らしきものが残っていたという。なんと慶州の半月城で確かに石がごろごろあったのを特に、版築のはずなのにおかしいなどと思わずに見ていた。 平たく、広くなったら向こうに建物が見えてきた。 観風楼。李朝時代、1601年に慶尚監営の正門として作られた。1906年に大邱邑城を壊す際に、この場所に移築して保存した。老朽化のため、1970年に解体して1973年に復元したという。 最後に動物の檻を見ながら坂を下りると、ぐるりと一周したことになり、門と歴史館が見えてきた、12:37。 
※参考文献
大邱城公園のパンフレット

※参考サイト
韓国古代山城探検!大邱達城(대구달성)~三国時代初期の城郭