体調も天気も良い。今日も暑くなりそうだが、午前中は国立大邱博物館見学に当てていたので、少しは楽かも。
チェックアウト後、荷物をフロントに預けて、タクシーで博物館へ。予想していたよりずっと広い、交通量の多い通りに博物館はあった、3.400W。
早く着きすぎたので、建物前の広場にある五層石塔を見ることにした、8:45。

説明板は、この石塔は本来慶尚北道漆谷郡若木面の浄兜寺址にあった。
新羅石塔の様式を引き継ぐ高麗初期の石塔で、基壇は2層で5層屋蓋石は残っていない。下層、基壇面石には眼象が彫刻されており、上層基壇面石にはこの塔が高麗顕宗22年(1031)に建立されたという銘文が刻まれている。塔の内部から塔の造成経緯を記録した形止記と舎利装置が発見されたという。




緑のガラスと金銅舎利器はどの本で見たのか覚えていないが、慶州博物館になかったので、ソウルの中央博物館にあるのかと思っていたら、大邱博物館で見ることができた。舎利容器として、瓶の形をしたものが円文坏の中に入っているのに、じーっと見ていてようやく気がついた。
『国立大邱博物館図録』は、1959年、漆谷松林寺の五層磚塔を修理した時に2層から亀形の石函が発見された。石函の中には金板を切り抜いて作った殿閣形の舎利器とともに種々のガラス玉と水晶玉、勾玉、管玉、指輪、金製同心円輪などが入っており、8世紀ごろにおさめられたものである。殿閣形の舎利器にはやや小さい舎利瓶がガラス盞の中に安置されているという。図版の下には金銅舎利器とあるがどちらが正しいのだろう。殿閣には下辺に蓮弁が重なって並ぶ。卍崩し組子の高欄と思われるものも表されている。歩揺の付いた飾りが随所に見られる。歩揺は冠などを飾るものだったが、仏教が伝わるとその荘厳具にも付けられるようになるんやなあ。


統一新羅後期には舎利器の形式が単純になり、蝋石を素材とした舎利器が流行した。このうち蝋石製の小塔は無垢浄光院陀羅尼経に依拠して99個あるいは77個の蝋石製小塔を奉安する様式が流行した。小塔の底に孔をあけ、その中に陀羅尼を書いた紙を納めた。この蝋石製小塔は77個が作られたが、このうち33個が展示されているという。
法隆寺には木造の百万塔(奈良時代)がある。高さ13.6㎝で円塔だが、蝋石製小塔はずっと小さいと思って見ていたが、3㎝ほどしか違わないのだった。桐華寺出土小塔は四角形だがいろんな種類があった。

梵鐘はもっと大きな物を芬皇寺と慶州博物館で見た。
韓国の梵鐘は中国の甬鐘とよばれる古銅器から変化、発展したものとして知られる。
1匹の龍で構成された龍鈕の後ろには音筒という筒状のものが付いているという。鐘が低く吊られ、床が凹んでいるのと、上部に抜けているところがあるので音が良いということだったが、抜けているのはこの筒だったとは思わなかった。しかし、見るだけで音は聞かなかったなあ。どんなええ音がするんやろ?

※参考文献
「国立大邱博物館図録」(2002年 通川文化社)