2014年4月28日月曜日
アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
自由行動の日の午後、アクロポリスの北のシンタグマ広場にあるホテルから、アクロポリスの南にできた新アクロポリス博物館に向かった。
ギリシア滞在最後の日なので、夕食は新アクロポリス美術館のレストランでアクロポリスを眺めながらと決めていた。
となれば、昼食は軽めにギロピタ(トルコのドネル・ケバブのようなものをギリシアのピタパンで挟んだもの)というつもりで、アマリアス大通りの西側のフィレリノン通りを歩いていた。
意外に食べ物屋は少なく、やっと見付けたのがこの店。何でも1€の24時間営業のサンドイッチ屋だった。左側の席はギリシアのおっちゃんたちで満杯。じりじり照りつける太陽の下で、歩きながら食べることになるかも知れないが、ここでお昼にしておこう。
どのサンドイッチにするか迷っていると、突然横から「何サンドイッチですかか?」と日本語が!それは寿司店で働いているというギリシア人の若い男の声だった。
結局は、ハムのピタパン・サンドと黒パンのチーズ・サンド、そしてアイス・カプチーノとフラッペにありつくことができた。合計4€!
しかも、韓国からやってきた若い女の子と一緒だった彼は、自分たちの小さなテーブルの半分を我々にゆずってくれたので、日陰に座って食べることができた。
その上自分が持っていた大きなペットの水まで提供してくれた。
このような出会いは自由行動ならではである。
手早く昼食を済ませて歩き続ける。
フィレリノン通りがアマリアス大通りに合流し、アマリアス大通りを歩いていると、ハドリアヌスの門が向こうに見えてきた。
名前からして第14代ローマ皇帝が建てたのであろうこの門は、凱旋門と比べると、薄っぺらいものだった。
右側の通りからアクロポリスが見えてきた。東端の展望台にあったギリシア国旗が風に舞っている。
通り沿いの植え込みに、ギリシアらしからぬ新しげな石像発見。
しかし、私にとって、もっとすごい発見はその脇に数本咲いているアカンサスの花だった。
アカンサスの花を見たい見たいと思い続け、やっとコリント式柱頭や唐草文の元になったアカンサスを、その出生の地ギリシアでみることができた。とはいえ、これはもう種ができている。
アカンサスの花は4月に、アクロポリスの丘への登り坂一面に黄色い花を咲かせ、とても良い香りがすると現地ガイドさんに聞いたが、6月下旬にはもう枯れて葉っぱすらなくなっていた。
生命力の象徴として装飾モティーフになったのではないのかな。葉っぱにしても、とても青々と力強いようには見えない。蔓草の根元にあしらわれるギザギザの葉は、後世の人が適当にアカンサスの葉と思っただけなのだろうか。
ディオニシウ・アレオパギトゥ通りに入ると、木陰という木陰、パラソルの下という下は、観光客が鈴なり状態。
6月下旬のギリシアは、どこも暑かった。エーゲ海の島々では、乾いた冷たい風のお陰で快適だったが、アテネに来ると、幾分湿気があるようで、蒸し暑く感じた。とは言っても、日本の蒸し暑さとはほど遠い。帰国後ギリシア旅行を思い出すたびに、その乾いた夏がうらやましくなるのだった。
新アクロポリス美術館の前に着くと、閉館時刻の8時までいるには時間がありすぎることに気づいた。ちょうどディオニュソス劇場の入口が近くにあるし、アクロポリスの入場券で、古代アゴラとディオニュソス劇場にも入ることができるので、行ってみることにした。
『世界歴史の旅ギリシア』は、アテネのディオニュソス信仰は、僭主ペイシストラトスの時代にボイオティアとの国境に位置するエレウテライから勧請されたもの。前5世紀には、木造の観客席を備えた本格的な劇場として、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらの悲劇、アリストファネスらの喜劇などが上演された。劇場はリュクルゴスによって前330年頃に大理石で改修され、さらに1世紀のローマ皇帝ネロの時代に改築された。現在、舞台の部分に残っているのは3世紀のファイドロスの演壇で、その前面にはディオニュソスの生涯が浮彫りにされている。劇場の最上部には、トラシュロス合唱隊記念碑の土台の跡があるという。
劇場の南方よりアクロポリスとその斜面の劇場跡を眺める。
しかし、劇場に到達するまでに、幾つかの遺構をみなくては。
パラスケヴィ教会 単廊式
ディオニシウ・アレオパギトゥ通りに近い遺構。
説明板は、17世紀の遺構が残っているという。
ディオニュソスの聖域の城壁
アルカイック時代のディオニュソス神殿の平面図
2本の円柱のイン・アンティス式神殿
その遺構?現地では見逃した。
後の時代のディオニュソス神殿
その平面図
アクロポリスにはパルテノン神殿の南面が見えている。城壁の際に立っているため、遠くからしか南面は見えない。
ディオニュソスの聖域の前門(プロピュロン)跡
やっと石の遺構が見えてきたと思ったら、ディオニュソスの聖域の壁だった。
ディオニュソス劇場は、アクロポリスの丘から見下ろすと、広大な観客席のほとんどの座席の石材がない状態だった。
遂に到達したディオニュソス劇場は、上の方の観客席に石材が残っていないせいか、傾斜が緩いせいか、大きな劇場には見えなかった。
横から見るとオルケストラの中に四角形が、より小さな切石でつくられ、その中心は円形になっている。
ファイドロスの演壇 2世紀
『South Slope of the Acropolis』は、5世紀初め、第一執政官ファイドロスは演壇に改修した。2世紀の建物のディオニュソスの生涯の主なできごとを表した浮彫を用いたという。
中央の踞って天井を支えているのはヘラクレスかと思っていた。
貴賓席というか、大理石の座席が前方や中央部に並んでいる。
アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める←
→アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂
関連項目
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1
アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2
アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食
※参考文献
「South Slope of the Acropolis」 Kaiti Kyriakopoulou Association of Friends of the Acropolis
「ミシュラン・グリーンガイド ギリシア」 1993年 実業之日本社
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
2014年4月26日土曜日
アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める
アクロポリスには様々時代にいろんな建物が建てられた。
9:パルテノン神殿北東辺りから見た16:エレクテイオン。
その手前の四角い物は作業用か何かのためにつくられたもので、13:アテナの大祭壇の部材がその横に並べられているらしい。
16:エレクテイオンのへりに城壁の高い部分が一部残っている。
その下に見える円柱のドラムは旧パルテノンのもので、アクロポリスの北側からはドラムが並んでいるのが見えるという(『ギリシア美術紀行』より)。
アクロポリスの北壁に沿って石材が積みあげてある。
北東方向にに見えるとんがった山はリカヴィトスの丘。
リカヴィトスの丘 標高273m
『地球の歩き方』は、頂上からはアテネ市内ばかりでなく、天気がよければピレウスの海まで見渡せるというので、ギリシア最後の夜は、頂上のレストランで食事をしながら夜景を楽しもうと考えていた。ところが、当初の予定では春先に出掛けるはずだったが、遺跡や博物館の開業が夏時間になるのを待っているうちに、一年でも一番日の長い時期になってしまい、食事時はまだ日が沈んでいないことがわかって中止した。
アクロポリスの東の端には展望台。
手前の遺構は10:ローマ時代の神殿跡のもの?
時間がなくてとても展望台まで行けないので、展望台を遠望しておく。
11:パンディオンの廟堂や12:控所などの遺構も多少は残っているのかな。
南端にあるのは旧アクロポリス美術館。
パルテノン神殿との間に円形プランらしき建物の遺構があった。
10:ローマとアウグスタの神殿
『ギリシア美術紀行』はローマ時代の神殿としている。
イオニア式のトロスだったようだ。
トロスについてはこちら
パルテノン神殿の東側を通って南端に行ってみると、新アクロポリス美術館が見えた。
これについては後日
新アクロポリス美術館はアクロポリス南麓の遺跡群とディオニシウ・アレオパギトゥ通りを挟んで南側にある。
もっと近づいて見下ろすと、新アクロポリス美術館の手前に、ディオニュソス劇場の遺構が広がっていた。
その西側にはアスクレペイオン跡。
その先には、参道の登りで見えたヘロデス・アッティコスの音楽堂。
この先で南壁沿いの通路は立入禁止。
7:カルコテケ(青銅館)跡辺り
パルテノン神殿の修復用部材が置かれているらしい。
天井の浅い刳りのある格間が一対になったものが1単位となっているようだ。そういえば、『THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM』の想像復元図にも、格間は2つ並んでいた。それには刳りはなかったけれど。
こちらはパルテノン神殿の遺物かな。大きな径のドラムは他にもあったが、ここでもどっしりと置かれている。少し離れて、色の異なる細い円柱が数本、横にしてあるのは、東西どちらかの内室のものだろう。
このあたりが6:アテナ・エルガネの神域かな。その前門(プロピュロン)はわからなかったが。
向こうの低い丘は「フィロパボスの丘」。
『地球の歩き方』は、フィロパボスとは、2世紀初め頃のローマの執政官で、彼はアテネのために尽くした人でもある。頂上には当時のアテネ市民が彼を記念して建てた墓碑があるという。
あの細長い建物のことらしい。
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿←
→アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
関連項目
ギリシア神殿11 格間天井に刳り形
ギリシア建築7 円形建造物(トロス)
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂
アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1
アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2
アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食
※参考文献
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「地球の歩き方A24 ギリシアとエーゲ海の島々」 ダイヤモンド社
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 2003年 山川出版社
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS
2014年4月24日木曜日
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
アクロポリスには、パルテノンの北側にはエレクテイオンがある。
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、守護神アテナと海神ポセイドンおよび伝説のアテナイ王エレクテウスを合祀するエレクテイオンは、プロピュライアと同じ前437年頃、ペリクレスの時代にすでに計画されていたと思われるが、ペロポネソス戦争(前431-404年)によって建設が遅れた。前421年頃着工され、中断期間を挟み、前406年頃には完成されたが、火災で焼失。その後再建され、現在の建物は前395年に完成された。後6世紀にキリスト教教会堂に転用され、15世紀にはトルコ人により宮殿として利用されたため、内部はほとんど改変されてしまった。しかし、1986年に修復が完成し、現在に至っているという。
プロピュライアについてはこちら
エレクテイオンの前にある遺構は古アテナ神殿のもの。
エレクテイオン 前421-406年頃 大理石 神殿本体の床面22.46X11.63m
同書は、神殿は三つの部分から成り、6柱式の前柱廊をもつ本体と正面4本、側面2本の円柱をもつ北柱廊、そして6本の女人像柱(カリュアティド)をもつ南柱廊とにわかれている。各柱廊の意匠はすべてイオニア式を基本としているが、それぞれに異なった特徴を備えており、変化に富んだたたずまいをみせているという。
外観はプロピュライア同様に複雑だ。
西側には北柱廊の2本の円柱、エレクテイオン本体の4本の円柱、南柱廊の2体のカリアティドが並ぶ。
同書は、西正面には高い基壇上に腰壁付きの半円柱が6本立つが、これらの開口部はローマ時代の再建であるという。
南柱廊
同書は、南柱廊は通称「コレーの間」と呼ばれ、1.8mの腰壁の上に高さ2.03mの6体の女人像柱が立っている。これらの女人像は、ドレープ(襞)の美しいトゥーニック(女性用上着)をまとい、頭部でフリーズのない軽やかな水平梁を支えているという。
6体のカリアティドが印象的だが、本物は新アクロポリス美術館に展示されている。
カリアティド(人像柱)はすでにアルカイック時代につくられている。デルフィ、クニドス人の宝庫(前6世紀中葉)の人像柱が最も初期のもので、同じくデルフィのシフノス人の宝庫(前525年頃)にも人像柱がみられる。
南柱廊の軒飾りはデンティル(歯形装飾)くらいだが、神殿本体には2種類の卵鏃文の下に背の高いアンテミオンが浅浮彫されている。
南面と東面
同書は、神殿本体は3段の基壇上に載り、正面を東側に向けているが、東と南の壁は北と西の壁よりも約3m高い地面上に立っているという。
同書は、東正面の6本の円柱は、直径が0.69m、高さが6.59mあり、北隅の1本(大英博物館)を除く5本がオリジナルである。前柱廊の後壁には扉口と二つの窓があったが、ビザンティン時代に教会堂の内陣後壁(アプス)を造るために取り壊されたという。
そう言われると、右端の円柱だけ色が違う。
イオニア式柱頭
円柱上端には卵鏃文に続いてアンテミオンの浅浮彫が見られる。そういえば、デルフィのハロースあたりの参道脇に置かれていたイオニア式円柱にもアンテミオンの浮彫があった。
神殿内には修復のための道具が持ち込まれている。
同書は、内部は後世の改変のため原形をとどめていないが、かつては隔壁によっ東神室と二つの中室および西神室に区切られ、それぞれに別々の神々が祀られていたという。
パルテノンの列柱とくらべると、細く長い円柱が際立つ。
東正面と北柱廊
北柱廊は3mほど低いところに造られ、カリアティドの支える南柱廊よりもかなり大きいものだった。
北柱廊への階段を下りていて、古い部材を土台にしてこの階段が造られているのを発見。
北柱廊。
同書は、側前室に相当し、直径0.82m、高さ7.63mの6本のイオニア式円柱で囲まれている。円柱の柱礎には入念な彫刻が施されており、格間天井や神室への扉口とともにイオニア式建築装飾の優美さをあますところなく伝えている。フリーズ(水平装飾帯)には青灰色のエレウシス産石灰岩が用いられており、大理石の浮彫りを留めていた釘の跡が残っているという。
柱礎の彫刻は気づかなかった。
何と言っても気になるのはこの天井の格間。プロピュライアの格間天井よりも刳りが深いような。
5段くらいありそうな刳り形。これは重量軽減のためと思ってよいのだろうか。
ローマのパンテオンのドーム天井にも浅い刳りの格間が整然と並んでいたし、エピダウロスのトロス(前330年以前)の周柱廊には、中心に花の高浮彫のある大きな格間に、3段の刳り形があった。
それよりもずっと以前にこのような刳り形があったとは。
神室への扉口上側と、少し離れた上部には浮彫の文様帯がある。
扉口上の浮彫
非常に装飾的なアンテミオンで、ハチがその間を飛んでいる。
卵鏃文の下には複弁の蓮華のようなロゼット文が等間隔に7つ並んでいる。
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿←
→アテネ、アクロポリス4 周囲を眺める
関連項目
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン
ギリシア神殿11 格間天井に刳り形
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫
パンテオン(Pantheon)でドームを見上げる
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス5 南麓のディオニシオス劇場
アテネ、アクロポリス6 ヘロデス・アッティコスの音楽堂
アテネ、アクロポリス7 新アクロポリス美術館1
アテネ、アクロポリス8 新アクロポリス美術館2
アテネ、アクロポリス9 新アクロポリス美術館で夕食
※参考文献
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS
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