お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年11月23日月曜日
チャール・ミナール2 登ったら屋上だった
ブハラ旧市街の更に東に⑲チャール・ミナールがある。
階段を登ってきたが、結局はミナレットの頂部ではなく屋上に出た。
北東のミナレット
南東のミナレット
これがドーム。小さいが、下階から見上げた形ではない。これでも二重殻ドームかも。
西側
左から⑦カリャン・ミナレット、奥に⑥カリャン・モスクの青いドーム、手前は⑬タキ・テルパック・フルションかな。続いて青いドームが二つある⑧ミリ・アラブ・メドレセ、右端にアブドゥアジス・ハン・メドレセ
南側に土産物屋
南東方向
小さなハウズ(貯水池)。木々の向こうの路地からやって来た。
そしてフジュラ。2人部屋が基本らしい。
北側
住宅地の路地の上に窓のある部屋か、屋根付きの通路が渡してある。
ドームホールに戻るが、そのまま降りずに、向こうの開口部を探検。
右へ行って見ると、
そこはミナレットの一つだったが、やはり階段はなく、
矢印の所から見上げると、ミナレットの上部が垣間見えた。
ミナレットの上部を物置にするためにこのように造ったのだろうが、梯子を使ったのかな。
地上階に降りると土産物屋。刺繍布のスザニや壺などがある。
現在は土産物屋となっていても、かつてはメドレセの教室だった部屋に入ってみる。
おそらく、スキンチも含めて8つの尖頭アーチの上のムカルナスの並んだ壁面の上に扁平な丸天井がのっている。
出ると、両側に石の部材がアーチを支えていた。
更に外側にも。こちらは浮彫がよく残っている。やはり柱礎は壺のような形で、手前に置かれた実際の柱礎とは形が異なる。
上から見えた土産物屋でお茶をご馳走になる。その茶碗がパフタ柄だった。
こんなにあちこちで見かけるのだから、手に入れ易いはず。
チャール・ミナール1 ミナレットに登る←
※参考文献
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年