お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年11月19日木曜日
チャール・ミナール1 ミナレットに登る
ブハラの旧市街から少し離れた東方に⑲チャール・ミナールと呼ばれるメドレセがある。
旧市街よりも西側から続く通りでバスを降りる。
リャビ・ハウズへと流れるシャフルッド川の川上
そして川下
気付かなかったが、ここからリャビ・ハウズまでは大した距離ではない。
小さな橋を渡って、住宅街の狭い路地を進んでいく。日干レンガではなく焼成レンガの家並みが続く。
サマルカンドでもそうだったが、通路を越しに横断するパイプはガス管?
突き当たりに大きな扉の住宅。大きな扉の内側は中庭になっている。
その建物の続き。屋根付きの広いベランダがある。
この先を左へ
その通りの右側
白い壁の建物はおそらく日干レンガの家。日干レンガで造って泥などを塗り、その上から漆喰を塗って仕上げてある。
左前へ進んでいくと、
チャール・ミナールのミナレットが見えてくる。
開けたところで4本のミナレットという意味のチャール・ミナールが姿を見せた。
⑲ チャール・ミナール・メドレセ 1807年
『中央アジアの傑作ブハラ』は、リャビ・ハウズの東北、住宅地の中には、その見事な建築で人々を驚かせるチョル・ミノル(4つの塔)メドレセが残っている。このメドレセは1807年に、豊かなトルクメン人のハリファ・ニヤズクルの代わりに建設された。メドレセ自体は伝統的様式であって、両側に1階建てのフジュラが並んでいる。中庭、モスク、及び石でできた貯水池があるという。
メドレセに来る前に小さな貯水池があった。
同書は、メドレセの各角に4つのミナレットが立ち、その上の小さいドームは青いタイルで飾られている。その塔の3つは収納室の役割を果たしていた。四つ目の塔には、2階のドームホールの図書館に行く階段があったという。
平面図は2階のドームホールを表している。
中に入ると主室に入ることもなく、右手の階段へ。ミナレットを登っていくと、
何故か階段はすぐに終わり、行き着いたのは確かに階上のドームホールだった。
低いドームの天井は3本の稜線で6つに分かれている。
下に眼を下ろしていくと、十六角形も八角形もなく、
正方形の部屋の低い位置に大きなスキンチがあるので、ここで正方形から八角形になるのだが、見かけは8つのペンデンティブのよう。
この部屋が図書室で、
南壁中央の尖頭アーチ形の壁龕に、左右両方向に矢印があった。
各腰壁の角には石製の装飾板が嵌め込まれている。そこにはムカルナスが装飾的に使われていたり、円柱には植物文(イスリミ)などが浮彫されていて、その下部は壺形になっている。
人の後をついて左に行くと少しだけ階段があり、
少し広くなったところで矢印の上を見上げると、ミナレットの上方が見えた。これでは登れない。
明かり取りの隙間から外を覗く。
その先は外の通路になっていた。
通路から振り返ると低い天井の梁と、先ほど見上げることになった矢印。
外通路から平屋のフジュラ(寮)の小ドームや、周囲の家並みが見える。
通路の先の階段を登っていると、前方にミナレットが。
その階段と通路を見下ろす。
チャール・ミナール2 登ったら屋上だった←
※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年