お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年7月25日月曜日

1-5 スルタンアフメット・ジャーミイ(Sultanahmet Camii)1 外壁の窓はロンデル

ヒポドロームから道路の向こうには、長い仕切り(壁ではない)が続いていて、所々に出入りできるような開口部がある。蛇の円柱から一番近い開口部からスルタンアフメット・ジャーミイに入っていった。

大きな地図で見る

何を指さしているのか記憶にない。円柱の柱頭もムカルナスになっているとでも言っているのかな。方向が少し違うようにも思うが。
高い木々の木陰にいると涼しい。
少し尖った2つのヴォールト天井が支えているのは門番小屋?赤いレンガと切石を交互に積むのはオスマン様式。
モスクはメッカの方向を向けて建てられるので、スルタンアフメット・ジャーミイはミヒラブが南東を向いているのだが、説明は下記のように、ジャーミイの長辺を南・北、短辺を東・西としています。黄色い矢印は進行方向。
モスクの南外回廊の様子。回廊にもモスクにも階段をのぼって入る。
モスクに光を入れる窓はアーチ形だが、そこには無数のロンデルが嵌め込まれている。なんと、モスクでロンデル窓を見ることになろうとは。
その下、モスクと回廊の床レベルの外回廊は幅広のアーチと小さなアーチが交互に配されてイスラームっぽい。
その下は、モスクで礼拝する前に身を浄める洗い場が並んでいる。日本の習慣と似たところがある。
西側が正式な入口のようで、向こうの開口部から人がどんどん入ってくる。我々も正面入口から入ることにした。
16年前に来た時は、5月だったので、マロニエやリラが今を盛りに白い花を咲かせていた。その時はイスタンブールとはこんなにも緑が多く、柔らかい雰囲気の街だったのかと、認識を新たにした。30数年前は3月のことで、当然ながら木々の葉も花もなく、薄汚れて(暖房の石炭のせいかも)馬車が往来するひなびた街という印象をもったのだった。
2011年6月はというと、木々にもう花はないのは仕方がないことだが、イスタンブールは観光名所が背の高い木の間にある街かな。
上の写真では入口の向こうのミナレットがよく写らなかったので、近づいてもう1枚。今度は黒くなってしまった。
こちらは南側のミナレット。ミナレットは寄進者が違うとそれぞれ異なった形のものだったりするが、このモスクはアフメットⅠが造らせたものなので、同じ形のものが6本立っている。
回廊の北壁。上はやや尖頭気味のアーチ形の窓が並ぶ。丸いロンデルが、箱に詰める時の果物のように、上下互い違いに整然と並んでいる。確か、このように並べた方がたくさん詰められるとか。
漆喰でロンデルを閉じ込めるように積んでいったのだろうか。
これは目からウロコだった。窓には枠全体にガラスが嵌め込まれているものという固定観念があったため、ヴェネツィアやフィレンツェで見たロンデル窓の、ロンデルで囲まれた地の部分のガラスはどのようにして作ったのかなどと真剣に考えたりしたが、ロンデルの周囲が板状のガラスである必要はないことが、これを見れば明白だ。窓というのは暗い屋内に光を入れるためのものである。それがこのような円いガラスの集まりであっても全く構わないということだ。
下の窓にはガラスがなく、鉄格子が嵌め込まれいている。
では、16年前と同じく正門から中庭へ。
門の上にはイスラームの書道で金字で何か書いてある。その上はあまり曲面のないムカルナスがある。
ムカルナスについて『イスラーム建築の見かた』は、鍾乳石状蜂の巣状に小さな曲面を集合させて、全体として凹曲面を造り出す建築的な装置である。ムカルナスを用いることによって、塔や壁面などの下方にある点や線が上方の前方へと持ち出されるのである。
マグリブ、エジプト、シリア、アナトリアといった大半がオスマン帝国の支配下に入った東地中海世界では、ムカルナスは、石製の建築入口やタイル製のミフラーブの上部など、使われる場所は限られ、その形も定形化してしまうという。
16年前に隊商宿の門に平板なムカルナスがあるのを見た。これはまだ複雑な方だ。
青銅製?の扉にもイスラームっぽい幾何学文様で埋め尽くされている。ビデオではアップで撮ったのに、写真を撮り忘れていた。
あっ、モスクの窓もロンデルだ。

実は、トラムヴァイでスルタンアフメット駅に向かっている時に撮ったモスクもロンデル窓でした。夢中で撮ったので気づきませんでした。
それについてはこちら

※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(渋沢幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)
「イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史」(深見奈緒子 2003年 東京堂出版)