中庭に足を踏み入れてモスクを見上げる。
正面入口からは、中庭の小さな泉水堂の低い小ドーム、回廊の小さなドーム群、その中央の小ドームは他よりも少し高く、泉水堂の小ドームの上に載っているようにも見える。その上に、二階建ての半ドーム、そして中央の大ドームへと山のような盛り上がりを見せる。
『イスタンブールが面白い』は、14代スルタン、アフメットⅠ世の命でブルー・モスク建造の式をとった建築家はメフメット・アーアといい、オスマン建築史にそびえるスィナンの直弟子である。彼はシュレイマニエ・モスクの園丁だったのを見いだされ、モスク建造に身命を賭すまでになったという。
建築工事は1609年にビザンティンの旧王宮の跡地で始まったが、メフメットがまず着手したのは建設地の脇に小屋をつくり数千羽の鶏を飼うことであった。師スィナンのやり方を見習ったのである。鶏の糞はスルタン所有の畑の肥料に、卵黄は労働者の滋養補給に、そして卵白は大理石と粉をこね合わせて強力な接着力をもつセメントに使った。
7年後の1616年、モスクが完成したという。
回廊は尖頭アーチが連なり、各円柱と外壁にかかる横断アーチも尖頭だ。その間には小ドームが1つずつ載っていて、四方にペンデンティブがある。
外側から見えたロンデル窓と外壁の内側にあるロンデル窓は別のものだった。つまり、外壁の厚みがあるので、両側に面を合わせて窓が開けてあるのだ。
よく見るとこれはロンデルではない。ロンデル風に型でつくったガラスを嵌め込んであるだけだ。
しかし、何かのオリジナルがないと作れないものでもある。いったい何を真似たのだろう。
ミマール・シナンは、大きなドームを造ろうとアヤソフィア・ジャーミイ(ビザンティン時代のアギア・ソフィア聖堂)を参考にしたという。ひょっとすると、アヤソフィアの窓もロンデルかも。
この泉水堂は、シャドゥルワンと呼ばれる浄めの泉という。側面の擬ロンデル窓の下は、外側は鉄格子の四角い窓だったが、内側は木の扉になっている。
あれ、なんでみんな南の開口部から出て行くの?
シャドゥルワンの周りを歩いてみる。見えているのは西のミナレット。
そして南のミナレット。あれ、泉水堂の天井がどうなっているか見るのを忘れた。
モスクにはここから入る。あれ、右に矢印が向いている。前回はここから入ったのに。
係員の目を盗んで内部を撮す。スルタンアフメット・ジャミイのミフラブはガラス張りになっている。その前で坐って礼拝している人もいる。
人が少ないうちに見学できそう。
結局我々も南側に出ることになった。
※参考文献
「イスタンブールが面白い 東西文明の交流点を歩く」(小田陽一・増島実 1996年 講談社カルチャーブックス)