お知らせ

やっとアナトリアの遺跡巡りを開始しました。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2008年6月30日月曜日

5日目-1 達城(タルソン 달성)に行ってみる?


検査が終わったところで、奥まった場所に移動した。点滴はえらく長い時間がかかった。
結局原因はわからず、担当の医者が薬を2日分出してくれて、今後同じ症状が出たら飲むようにと余分に薬を処方してくれた。
やっと点滴が終わると、看護師がやってきて料金を支払う場所を教えてくれた。会計を済ませると、1:52、ガードマンらしき制服を着た人が、私が処方箋を持っているのを見て薬局に案内してくれた。そして薬剤師がいないのを見て呼び出してくれた。
日本よりずっと救急体制がちゃんとしているなあ
お礼を言ってから帰りたかったが、担当の丸顔の医者が見当たらず、先ほどの青年もどこにいるかわからなかった。私は横になっていられたが、おっちゃんは椅子に座ってうとうとしたくいらなのので疲れているだろう。それに深夜に言葉もわからず交通事故で足を骨折した日本人の部屋を探して廻るわけにもいかなかった。
病院の外に出るとタクシーがいて助かった。暗い中、ナビの画面に集中している間にホテルに到着、5.520W。そんなに遠くなかったんや。
病院にいる間におっちゃんに水を少しずつもらって飲んでいたがもう吐くことはなかったので、しっかり水分を摂り、製氷室で解凍していたハーゲンダッツを食べて熟睡!

何時に目を覚ましたのだろう。8時半くらいかな。昨日おっちゃんが買ってきてくれたパンやジュースで朝食。もちろん、今日の予定、郊外の伽倻山にある海印寺(ヘインサ 해인사)と高霊池山洞伽倻古墳群(コリョン・ジサンドン・ガヤコブングン 고령지산동지산동고분군)行きはあきらめていた。
今日は部屋でゆっくりした方がいいよ
しかし部屋ではTVを見るしかすることがない。朝からプレデターを見ていても仕方ない。
達城に行ってみたいなあ
(地図は達城歴史館内の案内所でもらったもの) というわけで、地下鉄で行くことになった。ホテルのある交差点はかなり広いので、どこに地下鉄の駅があるのかわからない。ベルボーイに聞くと、
左にあります
ホテルからは見えなかったが、左に回ったところにあった。地下鉄2号線、駅の名前は泛魚(범어 Beomeo)、どれを見ても発音がわからへん。
料金は一律1.100Wらしく、紙の切符ではなくプラスチックのコインのようなものが出てきた、10:42。  改札ではコインをかざすと開く。5分ほど待って列車が到着。乗り換えなしで5駅先のパンコゲ(반고개 Bangogae)駅へ。 パンコゲ駅(こちらは漢字がわからない)に着いて地上に出ました、11:02。 何故か大邱の父か鉄の駅は屋根がない。
暑い!それに交差点が広い!なんでパンコゲ駅に降り立ったかというと、夕食の候補に金泰根(キムテグン)という韓方料理(ハンバンヨリ)の店が、徒歩5分のところにある(『新個人旅行韓国』より)らしいので、どこにあるのか見ておきたかったのだが、こんなに広くては探し出せへんやん。
とりあえず達城方面へ行ってみよう。しかし、この時点ではアバウトな地図しかなく、10分も歩けば着くだろうくらいに思っていた。その上、城壁址なので、どこからでも入れるのだろうと、地図以上にアバウトに考えていた。
北へ直進して行った。昔からある商店の中に新しい店がポツポツあるというような通りをのんびりと歩いていた。それなりに面白かったのだが、何故か写真を撮っていない。 同じ食べ物屋のチェーン店があっちにもこっちにもあった。料理の写真が出ている。
お昼はこんな店で食べよう。あ、カルクッス(うどん)がある。お昼はカルクッスにしよう
そんなことを言っている内は良かったが、暑い中を歩いても歩いても達城には行き着かなかった。やっぱり大邱は大きな街や!
この辺で曲がってみよう
歩いていると達城らしき(であってほしい)森が見えてきた、11:34。気がつかなかったがもう30分も歩いていた。パンコゲ駅からタクシーに乗れば良かった。 しかし、この道は達城に行かずに斜めにそれて、大通りに出てしまった。三角形2辺を歩いたことになるなあ。 しかし、すぐ先で左側に達城らしきものが迫っていた、11:39(何故かピンぼけ)。
どっちに行くんや?
とりあえず右に行ってみよう 達城の城壁?に沿ってかなり歩いて振り返る。 そのまま歩き続けると城壁が段々低くなってきた。 上に建物があるみたい そして絵地図があった。
動物園みたい
まあ行ってみよう 大きな門があって、やっぱり達城らしかった。中にはいると幼稚園児がいっぱいいる。城壁はどこ?11:49
※参考文献
「08-09新個人旅行韓国」(昭文社)

2008年6月29日日曜日

4日目-10 大邱でおっちゃんは食事に、私はERへ

チェックイン後部屋に入る。広いし新しい、14:13。
気分は悪くないけど、今日は観光はやめとくわ テレビは液晶だった。慶州のコモドホテルはNHKの総合が映ったが、このホテルではBS1が入る。
とは言え、坐っているよりも横になった方が楽だった。元気なおっちゃんにはどこか観光してほしい。
どこに行ったらええんかわからん
そうだった。おっちゃんはこのホテルが大邱のどの辺に位置しているのかさえわからないのだった。いつもはツアーだが、個人旅行となった今回くらいはいろいろ調べるのかと思ったら、相変わらずガイドブックさえ開かなかった。それに、いつもはおっちゃんの具合が悪くなるというパターンだったので、その心配はしていたが、自分がこんな風になるなどと思いもしなかった。 おっちゃんに飲み物などを買ってきてもらう。
近くにコンビニ25があったよ
ジュースを飲んで洗面所を探検。今までのホテルにない洗面台。奧の斜めに開いたボックスにはヘアードライヤーが入っていた。ところで、韓国のホテルは歯ブラシセット・シャンプー・リンスが有料で、理由は環境に配慮してということらしい。他の物は使っても大丈夫なはずだが、北京のホテルで何かわからないが料金を請求されたことがあり、以来備品はあまり使わないようになった。だから、あちこちに置いてある小さなボトルも何か確かめることもなく、そのままにしておいた。これって貧乏性?
慶州では暑くて汗をかいたので、早めにお風呂に入った。シャワーカーテンではなくガラスなのが良い。 窓の外を眺めると、大通りの反対側で静か。遠くには高層マンションが並んでいて、中国の街のようだ。ホテルの裏は古い民家が並んでいる。  私は食べるのは止めておくが、おっちゃんにはちゃんと食事をしてほしい。予定ではカッパウィから戻ったら、大邱の中心で名物の「カルビチム」という牛バラ肉の煮込みを食べることになっていたが、そこまで行くことは無理やね。
食べたものの写真を撮ってきてね

TVの音もいやになり、消してうとうとしていた。しばらくして気持ち悪くなり、また吐いてしまった。どうも水分を補給しても全部出てしまう。段々脱水症が心配になってきた。
おっちゃんが食事から帰ってきた。パンやハーゲンダッツ、飲み物を買ってきてくれたが、食べられない。
裏通りに入ったら食堂が並んでいたよ。よくわからんで入って、ハングル文字のメニュを適当に指さしたら間違えてその下のを持ってきた。ホルモン鍋みたいなのが出てきたよ。味は良かったけどね  やっぱり小皿が出てきた?
うん、サナギみたいなのやいろいろ出てきたよ
お酒もしっかり飲みました!
2本も飲むか!アイスクリームかと思ったらポテトサラダ?また戻した。脱水症が心配になってきた
どうする?1330に電話する?
一応ホテルの人に言って、それでだめだったら1330に電話することにしたら
今までの症状をメモに書いて、おっちゃんにフロントに行ってもらった。すぐに戻ってきた。
病院に行った方がいいでしょう。ホテルの車で行きましょうと言ってくれたよ
ロビーに降りると若いホテルマンが車で近くの病院に連れて行ってくれたが、もう医者が帰ったと言われた。ホテルと電話でやりとりして、かなり遠くまで行くことになった。東大邱駅前は高架になっていたので暗くてもよくわかった。その後カーブして下って、割合すぐに病院に着いた。
ERの受付でいろいろ聞かれた。若いホテルマンはそんなに日本語ができるわけではないので、説明に手間取っていたら、突然私の背後から青年が現れた。果たして診察してもらえるだろうか。何せ歩いているのである。
私は日本語が話せます。通訳しましょう
それで我々の話を逐一伝えてくれて、中に入るように指示された。お礼を言うと、
日本で2年間勉強しました。その時日本の人たちに大変お世話になりました。だから当たり前のことをしているだけです。私の日本人の友達が交通事故にあったので、病院に来ています
南山の仙人といい、この青年といい、なんというタイミングで助っ人が現れるのだろう。
中に入るとそこが広い空間になっていて、たくさんのベッドと、その上に横になっている人たちがいた。救急で来た人はここですべて対処しているらしかった。私は入ってすぐの空きベッドに横になるように言われた。その後結構時間がかかったが、血液検査・心電図・胃の外側からのX線撮影などをした。
その間にも先ほどの青年が、足にものすごいギブスをして運ばれている人に付いて通った。しばらくすると青年は紅茶の缶を差し入れしてくれた。その後も何度か気に掛けて来てくれた。
その内に点滴をしてくれたので、やっと脱水症への不安から解放されたが、口が乾いてしまったので、少し紅茶を飲んだら、甘露の水のように美味しかった。
明日になったら元気になると思うわ。昔トレドで気分が悪くなって、500円のオステルで一晩中上げたり下げたりしたけど、朝になったらピタッと治って、元気に観光したから 
それは若い頃の話やろ
いつも旅先で体調を崩すのはおっちゃんの方なので、自分がこんなことになるとは予想もしなかった。このまま治らなかったら、この旅行はどうなるんや?

2008年6月28日土曜日

4日目-9 高速バスで大邱(テグ 대구)へ

 
昨夜、今日の午後大邱に移動してからの予定をどうするか話し合った。予定としては大邱北方の八公山にあるカッパウィという山の上にある石仏を見に行くことにしていた。しかし、南山で充分だという気もしたし、1時間登って1体の仏像を見るというのもしんどいかな。おっちゃんの疲労も心配だったので、大邱の市街地にある達城の城壁でも歩いてみようということになった。
という訳で、慶州出発は12:30でなくても良くなった。路西里古墳群を見終わって12:05。
お昼を食堂で食べる? 
いや、コンビニで何か買って、バスで食べよう。今から銀行に行こう 路西里と路東里の間の道は鳳凰路というらしい。その道を北へ。地図では2つほど交差点を過ぎると大邱銀行があるはずだったが、それはある程度広い道らしく、市街地の細い通りを何度か越して広い通りに出た。通りを渡るのも一苦労。1つ西の信号の方が近いのでそこまで行く。大きな交差点で、なかなか青にならない。やっと大邱銀行で両替。同じ信号を渡ったが、この東西の広い通りは慶州駅からのびている通りだと後でわかった。
そのまま太宗路まで南下するのだが、歩道にはおばちゃんが野菜を売る小さなお店がびっしりと並んでいて、除けながら通った。急いでいなければ、写真を撮りながら、果物でも買いたかったなあ。
太宗路まで出て右折。途中でコンビニ25を見つけて停まったらおっちゃんはそのまま行ってしまう。
自転車を返してからにしよう
すぐそこの高速バスターミナルの外側にあるレンタサイクル屋にいくとおやじがいた。自転車を返して引き返す。
コンビニにはおにぎりなども売っていたが、パンにした。ジュースなども買って高速バスターミナルへ。 切符売り場には朝荷物を預かってくれたおばちゃんはいなかった。
トンテグボストノミル
指で2を示す。おばちゃんが何か言った。ホームの番号らしい。指で聞くと1番らしい。
13:00発のチケットだった。座席指定で、10・11。1人3.700W。
そして荷物をもらいに事務所に行く。
アンニョンハセヨ
きっとコニチワとか、コニャニャチワ風に聞こえているんだろうなあ。荷物を指さして引き取る。
カンサハムニダ
何度も言っている内に、カンサは感謝ではないかと思うようになった。 1番ホームに行くと、もうバスに乗り込んでいる。我々はチケットを出して、荷物をトランクルームに入れてもらい、乗り込んだ。
席に着くと早速食事。定時に発車する頃には食事は終わっていた。 慶州インターから高速1号線を通って東大邱高速バスターミナルへ、約1時間のバス移動となる。今回の旅行は移動時間が短いので楽だ。川沿いの道を走ったが、すぐに五陵の傍を通る道に入った。蚊川を渡ると五陵の中にピクニックに来た人たちが見える。
五陵を過ぎて右折したところで不意に吐き気がした。乗り物酔いではないし、お腹に来る風邪でもない。大邱まで1時間もつだろうか、と思った瞬間戻してしまった。その一瞬前に網ポケットにあった黒のビニル袋を手に取っていたのが幸いだった。しかも、この袋は備え付けではなく、前の乗客が網ポケットに入れていたものなのだ。運が良かったと言わねばなるまい。 高速に入って日本と変わらない景色を見たり、ビデオに撮ったりした。時には眠っていたが、後でおっちゃんはものすごくしんどそうな表情をしていたと言った。自分ではなんともなかったのだが。東大邱ジャンクションから55号線に入る。大邱はどんな街だろう、13:33。 慶州よりはずっと大きな街のはずだった。我々は利用しないが、KTXという韓国の新幹線が停まるのが大邱駅ではなく東大邱駅らしい。だから東大邱は新しい中心地になっているようだ。
高速バスターミナルも東大邱にある。そして、これから2泊するホテルはそのバスターミナルから2㎞くらいのところにあるし、カッパウィ行きのバスが出ている東部市外バスターミナルにも近いのだった。 何時に東大邱高速バスターミナルに到着したのかよく覚えていない。到着してバスを降り、我々のスーツケースが出てくるのを待っている間に、向こうでおばちゃんがポリペールのゴミをまとめているのが見えた。
さっきの黒い袋を捨てさせてもらおう。スーツケースを引いてポリペールへと歩きかけた途端にまた吐き気がしてきた。スーツケースを置いて駆け寄ってポリペールに吐いてしまった。とてもトイレを探す余裕はなかった。おばちゃんには悪いが、ゴミ袋があって不幸中の幸いと言えよう。
おばちゃんはびっくりしていたが、どこかに行ってしまった。私がトイレットペーパー(いつもリュックに入れている)でポリペールや袋を拭いていると、おばちゃんがいいよ、いいよという身振りをしたので、そのままにしてしまった。「こんにちは」「ありがとう」以外に「済みません」くらい覚えておくべきやね。
カンサハムニダ
と言うしかなかった。
タクシーを探そう
タクシーは通りに出ると列を作っていた。先頭まで行くとおばちゃんの運転手だった。スーツケースがあるのがわかってもタクシーから降りもせず、トランクを開けるだけ。おっちゃんが入れるが1つしか入らない。助手席のドアをおっちゃんが開けてもう1つを入れた。
グランドホテル
グランドホテル?左折せずにそのまま直進する。どうも地図と違うと思ったら途中でUターンした。前の車もそうしていたので、そういうルールなのだろう。広い通りに戻って右折。しばらく走ってホテルに着くと道路に停まる。ホテルまでは入らない。 2.800W
ホテルからベルボーイが2人走ってきて荷物を出してくれた。
小銭は再両替できないので増やしたくないということが頭にあったので、小銭を探している間にメーターが上がり、2.900Wになった。結局3.000Wでお釣りをもらう。
おっちゃんは怒ってお釣りを200W出させたが、荷物の出し入れを手伝いもせずに、その上停まってもメーターも上げないとはと長々と怒っていた。私は具合が悪いので10円程度のことでもめんといてほしいと思ったが。

2008年6月27日金曜日

4日目-8 路西里古墳群は瑞鳳塚(ソボンチョン 서봉총)と金冠塚(クムクァンチョン 금관총)しかわからない


路西里の入口へと向かっていると、柵の向こうに削られた古墳が見えた。 
説明板は、ここ路西洞の広い平地には規模の異なる古墳が10基余りある。路東里の鳳凰台古墳とときにその規模において双璧を成す第130号の古墳をはじめ1921年偶然金冠が出土され、人々を驚かせた金冠塚、1926年スウェーデンの皇太子クスタフ・アドルフ6世が発掘調査に参加して金冠が出土された瑞鳳塚、1946年高句麗の広開土王の名字が刻まれた青銅器が発見され、新羅の古墳に対する年代の推定に参考となった壺杵塚、その他、銀鈴塚、双床塚、馬塚などがある。これら古墳のなかで大抵封墳(盛り土をして作った墓)が大きいものは積石木槨墳であり、小さいものは石室墳と竪穴墳である。1984年の新羅古墳の整備・保存事業の一環として、民家を移転して現在のような形にしたという。入口を入ると、さっきの古墳が違った形で見えた。これが金冠塚らしい。これが円墳だった時にはかなり大きなものだったのではないだろうか。こんなに削られても金冠だけでなく金製品や馬具など豪華な副葬品が残っていたのは積石木槨墳だったからだろうが、豪華なものを副葬することがなくなってしまった時代には、ただの塚としか思われず、宝物が埋められていることすらわからなくなっていたのだろう。
金冠塚の出土品についてはこちら そして向こうの大きな古墳の前には一段高くなったところがあるが、これが瑞鳳塚。わかりにくいが、平面が瓢箪形の古墳である。瑞鳳塚の副葬品も国立慶州博物館で見た。瑠璃色のガラス杯や釧・首飾りなど。瑞鳳塚だけ黒い石碑があった。
瑞鳳塚の出土品についてはこちら ここにも瓢箪形の古墳がある。名前はわからない、未発掘。隣に緑の輪っかがあるようにも見えるなあ。円墳があったのかも。 瓢箪形古墳の右に見えた小さな円墳は、近づくと石碑があったが、ハングル文字でわからなかった。未発掘の古墳。
一応西端まで行ってみたはずだが、瓢箪形古墳の裏にある小さな馬塚は写真に撮っていない。残っていないのかも。 瓢箪形古墳の東にある小さな円墳で未発掘。2つの間に小さな塚が見えるのは、銀鈴塚か双床塚かも。こんなところの木陰にも休んでいる人がいる。 そしてこれが鳳凰台と双璧を成す大きさという第130号墳で未発掘。 場所が確認できなかった壺杅塚の出土品についてはこちら 

2008年6月26日木曜日

4日目-7 路東里古墳群には金鈴塚(クンリョンチョン 금령총)と飾履塚(シッリチォン 식리총)


大陵苑は南側に出口があるので、太宗路を挟んで向かい合っているとはいえ、路東里路・西里古墳群に行くには、大陵苑を回り込まないと行けない。
出口から塀に沿って行ってみよう
土産物屋や食堂街を通り抜けたと思ったら、崇恵門というのがあった。説明板は中国語だった。適当に読んでいくと、崇恵殿は新羅で金氏最初の王13代味鄒王(大陵苑に陵墓)から、三国統一して新羅最後の王となった文武大王(感恩寺建立、海中陵)までの位牌が安置されているのだそうだ。 できるだけ大陵苑の塀に沿った方が良いと思って、ある通りを右に曲がると、塀はなく、空き地に入り込んでしまった。そこには3匹の番犬がいて、一斉に吠えかかるので、早々に退散。すると、細い入り組んだ通りに入り込んでしまった。このあたりは1軒1軒白い塀に囲まれているので見通しがきかない。
ある通りで小さな銀行があった。市街地の銀行で両替をする予定だったので、ここで両替できれば時間の節約になる。おっちゃんは入って行った。
大きい銀行へ行ってくれと言われた
信用金庫みたいなところやったかもね
その後左折・右折を繰り返したところで大きな通りに出た。その通りを北上するとまもなく太宗路に行き当たった。こんな風に迷いながら行くと街の印象が強く残りますなあ。写真に撮る余裕はなかったけど。通りを挟んで古墳群が見える。ここで太宗路を北側に渡る、11:50。 自転車を置いてまず路東里古墳群から見学。説明板は、この古墳群は慶州の月城を中心として、西から北東側に分布している多くの新羅の古墳のなかで、西北側の端に位置している。ここは真ん中にある道路を境界にして路東里・路西里の古墳群とに分かれている。路東里古墳群には古墳1基と古墳跡2基がある。北側にある古墳は円周250m、直径82m、高さ22mの韓国で最も大きい規模であり、鳳凰台とも呼ばれる。南側には1924年に発掘調査した金鈴塚の跡と、飾履塚の跡があるが、内部の構造はみな積石木槨墳である。ここから金冠や陶製騎馬人物像をはじめ、多くの副葬品が出土されたという。遺跡に踏み込んだものの、暑いので唯一の木陰から眺める。左側に大きな古墳がある。大きな古墳に大きな木が生えているなあ。 前方には2段の盛り上がりがある。向こうの小高い方が飾履塚、こちらの広く平べったいのが金鈴塚、出土品で名称が付いている。そして、その手前に緑の線が弧を描いている。きっと我々がいるところにも古墳があったのだろう。 飾履塚はそんなに大きくはない。文字通り飾履が出土した。 金鈴塚の方が面積でいうと広い。 金鈴のほか、騎馬人物土器が出土した。向こうに見えるのは大陵苑の太宗路に近い瓢箪形の古墳。遺跡公園に整備するのか、歩道を付け替えているのか工事中だった。鳳凰台を一回りしてみる。 路東里と路西里の間の道に出た。鳳凰台(ボンファンデ 봉황대)は未発掘という、12:01。
金鈴塚・飾履塚の副葬品については路東洞路西洞の平たく削られた古墳から豪華な副葬品1をどうぞ