マウンドの前方を見ると、下の方にミナレットやモスクの残骸が見える。
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日干レンガの建物跡があったらしいことはわかるが・・・
神殿跡らしい
部屋の床のようなものがあった。
何故金網の間にレンズを向けて撮らなかったのか・・・
四角いミナレットはやはりシリア風。
モスクは火山岩と日干レンガで建てられました。ミナレットの下の方は火山岩、上の方は日干レンガです
日干レンガのミナレットというのは登るのが恐いような。
簡単な平面図があった。
説明文に、ハランの大モスクはアナトリアでイスラーム建築として建てられた最も古いものだ。また、「天国のモスク」としても知られ、ウマイヤ朝最後のカリフ、マルワーンⅡによって奉献された。104X107mの面積を持つこのモスクの完全な平面は1983年に発掘された。現在残っている遺構は、33.3mのミナレット、泉水、ミフラーブ、アーチと東壁で、多少の修復がされているとある。
かなり早い時期のモスクだ。ダマスクスのウマイヤ・モスクが創建されたのは、ワリードⅠ(705-15)の時代、マルワーンⅡは744-50年なので、50年も違わない、初期イスラーム建築の遺構ということになる(建物が分かり易いよう色を付けました)。
造りもウマイヤ・モスクとよく似ていて、大きな中庭を回廊が取り囲み、礼拝堂はミフラーブのある壁面に平行した4列の列柱廊からなっていたようだ。
ミナレットと近くの柱の残骸から考えて、中央の大きなアーチ門はモスクへの入口、そして右側に続く遺構は東壁だろう。
そして石ころのように遺跡の表面を覆っているのは建物に使われていた石材。
地震などの天災ではなく、戦争で破壊されました
何時の時代の戦争だろう。
草の生えているところは中庭だったようだ。そのように見ると、アーチ中程右側に泉水らしき白い石で丸く囲んだようなものも見える。
中庭も小さな石を敷いていたらしいが、堂内はもう少し大きな石を敷き詰めた床が残っている。
手前の柱はアーチ列を支える柱の一つ。石が両側のアーチに繋がっていた痕跡の斜めになった石積みがわずかながら残っている。しかし、アーチが左右に並んでいるだけなら上の柱は必要ない。おそらく二重アーチになっていたのだろう。
大アーチの左の柱には途中に何か残っている。アップしてみると、アカンサスではない植物の葉の並ぶ柱頭だ。
アーチ門の左右端の同じ高さのところにも同じような浮彫があったらしい。
東壁の外側が残る。破風はモスクの列柱のある身廊だろう。
もっと手前に目を向けると、細い円柱が途中まで残って立っていたり、折れた円柱が転がっていたりする。
足元には白い花。
これがミナレットの一番大きい写真。日干レンガの部分と石材の部分がわかる。
後でハラン・ハウスから眺めたウル・ジャーミイ。ミナレットから続いて周壁、アーチ門、身廊。
身廊は3列の列柱のある、4つの柱間の並ぶ大きな空間だったが、その造りがここからある程度推測できる。おそらく破風1つで1つの柱間になっていたのだろう。復元された破風は右と左で高さが異なっているのが不思議だが、破風は創建時は4つあったはずだ。
アーチは、見ようによっては尖頭のようだが、まだこの時代なら半円アーチだろう。
門は上の楣石は丸くて大きな円柱のようだ。モスクより前に円柱のある神殿などが近くにあったなら、それを借用したのかも知れない。