お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年2月24日月曜日

ロドス島4 旧市街を街歩き1


ロドスの旧市街内で昼食後、しばしの時間自由行動となったので、考古博物館を見学するよりも、街歩きする方を選んだ。

最初に見付けたのはこんな廃墟、それとも城壁?

プレートにはEUが75%文化省25%の出資などと記されている。中世の街の修復プロジェクトの一つらしい。

新しそうな家なのに古びた石垣にの上に建っているのが妙で、狭い通りに入り込んでいった。石垣にはプレートがついていた。
それを読むと、石垣はビザンティン時代の城壁跡で、その横には、おそらく当時の水飲み場と思われる、大理石のものが残っている。
表側に回ると、民家がビザンティン時代の城壁を土台に建っていることがわかった。
その向かい側もビザンティン時代の城壁かな。スレイマニエ・モスクのミナレットが顔を出している。
トルコの古民家風に二階が一階よりも張り出した家も。
またしても、ビザンティン時代の城壁を再利用した住宅が。しかも階段の色がカラフルで、上がっていきたかったが、民家らしいので、やめておいた。
城壁を利用した建物が続き、通りの向こうには塔のようなものが目に入った。
狭い通りが終わり、広場に出ると、塔は見えなくなったが、やはり古びた石垣の上に、甲冑を着け、武器を持った人が立っていた。
右を向くと⑬騎士団長の館。
どうやら、テオフィリスコウ(THEOFILISKOU)通りに入り込んでしまっていたらしい。
目の前の看板に「時計塔」とあった。さっき見えた塔のことらしい。あまり時間がないので、塔からロドスや海を眺めてみることにした。
外側は尖頭アーチなのに、内部は平天井とは。
黄色い壁はまだまだ続く。
⑰時計塔
ビザンティン時代のものらしい、入場料は10€と安くはないがドリンク付きだった。
中は空洞に近いが、古い写真が飾ってあった。
全てのものを見下ろすほどには高くはなかったが、先ほどの⑬騎士団長の館
十字軍時代の城壁が間近に見える。
手前に聖ゲオルギウスの僧院と、向こうに同名の要塞
十字軍の城壁はカーブして、
ぐるりとコマーシャル・ハーバーに向かっていく。
手前の赤い2つのドームのある建物はイスラームっぽい。⑮スレイマニエ・モスクのミナレットが見えてきた。

ヨハネ騎士団の城壁と各語圏の守備範囲図(『THE KNIGHT OF RHODES』より)
①コラキウム ②騎士団長の館 ③マンドラキ港 ④オラ ⑤港 ⑥ナイラク塔 ⑦聖パウロ門 ⑧アンボワズ門 ⑨聖ゲオルギウス門 ⑩スペイン塔 ⑪聖母マリア塔 ⑫コスキノス門 ⑬イタリア門 ⑭聖カタリナ門 ⑮風車の塔 ⑯海門
戦闘基地 Ⅰフランス(語圏、以下同じ) Ⅱドイツ Ⅲオーヴェルニュ Ⅳスペイン Ⅴイングランド Ⅵプロヴァンス Ⅶイタリア Ⅷ城


ロドス島3 旧市街へはアンボワズ門から← →ロドス島5 旧市街を街歩き2

関連項目
ロドス島7 ヨハネ騎士団長の館2
ロドス島6 ヨハネ騎士団長の館1
ロドス島2 ロドス旧市街周辺
ロドス島1 リンドスの遺跡

※参考文献
「THE KNIGHT OF RHODES」 ANNINA VALKANA EDITIONS M.TOUBIS