秘儀荘の壁画はほとんどが第2様式で描かれていた。第1様式かと思うような幾何学的なものがあったが、ポンペイの他の邸宅跡でも第1様式のような第2様式の壁画が残っている。
トレビウス・バレンスの家夏の食堂
『ポンペイ今日と2000年前の姿』は、庭の奥の壁に描かれた珍しいチェスの市松模様は、アトリウムから見ると実に写実的です。第2様式で描かれているのは一部屋だけで、他はだいたい第3様式で描かれています。庭には円柱で支えられたつるだながある夏期用の食堂がありましたという。
クリーム色の地よりも、彩色された部分の方が面積が狭いせいか、目にうるさくない。一つの色が斜めに上へと向かっていく。
第2様式では隅の柱も描かれるのに、この部屋では実物の円柱が造られている。その上を見ても支えるものもなく、ただの飾りとしてつくられたのだろう。
庭に円柱が支える蔓棚があるのは夏の食堂だったのか。モザイクの円柱も庭の池の蔓棚だったらしいので、やっぱり夏用の食堂のあった場所だろう。モザイクの円柱はこちら
『光は東方より』は、前1世紀の初期に現実を錯覚させるようなイリュージョンの技法が壁面装飾に導入され、第2様式が誕生したという。
グリフィンの家 部屋Ⅳの壁画 前100-85年頃 ローマ、パラティーノの丘 第2様式初期
第1様式の壁面装飾に欄干そして柱を付け加えた折衷様式で表現されるという。
パラティーノの丘のグリフィンの家というのは、ドムス・アウグスターナ(皇帝宮殿の私邸部分)の中央アーチ門に架けられていた鳥グリフィンの高浮彫が発見された家のことだろうか?
欄干の上の広い面積を占める壁面の、円柱で区切られた部分には、中央に幾何学的な装飾がある。菱形を色を変えて並べると目に錯覚を起こさせる効果があって、十分にイリュージョンだ。
その両側の赤い帯と円柱に挟まれた部分は複雑な模様の大理石の板を表していて、秘儀荘の6の部屋の天井近くにも見られる。欄干の上から天井を支える円柱には縦溝と柱頭が立体的に表されている。
ここに見られる建築的要素は、約4半世紀後のオプロンティスのポッパエア荘の壁面装飾により、発展させられるという。
ポッパエア荘 クビクルム23の壁画 前50-40年頃 オプロンティス 発展した第2様式
腰羽目から上の壁が取り払われ、遠近法を巧みに用いた堂々たる楼門のイリュージョンが描き出される。さらにその背後には多くの柱に支えられる建築が後方に広がる。したがって第2様式が建築的様式とも呼ばれる別名を持つ所以となっているという。
左壁の楼門の背後には手すり付きの階段が見える。各壁に別々の建物が立体的に描かれていて、全体でどこかの建物を表そうとしたのではないようだ。
各壁面の正面に向いて、それぞれの架空の建物や空間を楽しんだのだろうか。
ヴィラ・ファルネジーナ地下の家 クビクルムBの壁画 前20年頃 ローマ、トランステヴェレ 第2様式後期
大胆な建築モティーフを使ったイリュージョンは影をひそめ、代わって従来の垂直方向への区分がなされ、中央部の重要性が増す。ここに神話に題材を取った風景画などが、あたかも開いた窓から見える屋外の風景のようにはめ込まれ、またその効果を期するために、周囲に単色で閉ざされた壁画が描かれるという。
こちらの方は、室内の作り付けの立体的な壁面のようだ。実際に額を壁に飾ったり、小人物像を上の棚に置いてみたりしたように描かれている。
中央の風景画だけが外界の見える窓のようだ。
秘儀荘 ある部屋の壁
『完全復元ポンペイ』は、素朴な「だまし絵」技法で建築物をえがいた第2様式の壁面装飾。秘儀荘の部屋を飾っていた。左右には壁端柱(アンタ)、高い基壇とその上に立つ2本の円柱、半円形のアーチがえがかれているという。
この壁面は、第2様式のなかで、初期・発展期・後期のどれに属するのだろう。風景画はないが、後期のような印象を受ける。
上部の半円アーチは、パラティーノの丘の皇帝観覧席の裏側やパンテオンのドーム天井のように刳りのある格天井のヴォールトとして描かれているので、格天井が紀元前にすでにあったことがわかる。
秘儀荘 アトリウムから北側のポルティコへと向かう廊下沿いの休憩室
同書は、コリント式の居間に似た第2様式の見事な装飾がほどこされているという。
左壁上方に建物が見えるので第2様式でも発展期のものだろう。
※参考文献
「ポンペイ 今日と2000年前の姿」(アルベルトC.カルピチェーチ 2002年 Bonechi Edizioni)
「完全復元2000年前の古代都市 ポンペイ」(サルバトーレ・チロ・ナッポ 1999年 ニュートンプレス)
「NHK名画への旅2 光は東方より 古代Ⅱ・中世Ⅰ」(監修木村重信他 1994年 講談社)