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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月24日水曜日

1-24 アヤソフィア10 南階上廊1 2組の皇帝・皇妃のモザイク

南階上廊の大理石の障壁から皇室専用の間に入る。
⑮大タンパン下の列柱と2本の円柱の間のアーチ状のヴォールトを見上げる。
中央のヴォールトは北階上廊のものと同じ文様。(奥が西側)
左のアーチ下側には唐草文様があり、モザイクが残っていればオリジナルのものだろう。
右のアーチ下には、西階上廊にあったのと同じようなモティーフがモザイクで表されているが、雰囲気がオリジナルのものとかなり異なっているので、後の時代のものだろう。蜘蛛の巣のような文様が特徴的。
東側の右アーチ付近にも蜘蛛の巣のような文様。モザイクが剝がれてしまった箇所があった。
ここから北階上廊の大タンパン下部に並んだ浅い壁龕の幾つかに、上塗りがはがれて歴代主教の肖像が3つほど現れているのを見ることが出来る(ピンボケ気味)。
⑯南階上廊の東の端に皇帝と皇妃を表したモザイク画が2面残っているが、大きな窓の左右にあるので、目が慣れるまで真っ暗でわからなかった。
⑰聖母子に寄進するヨアンニス2世コムネノス、皇妃イリニと皇子アレクシオス」(1118-22年頃)。
聖母子像は後陣のものとだいぶ雰囲気が違うため、近くにあってもじっくり見たいとも思わなかった。両側の皇帝・皇妃像はなおさらだった。
益田朋幸氏のイスタンブール ― アヤソフィア美術館とビザンティンの聖堂 ―というサイトによると、12世紀の皇帝がお金袋を、そしてお妃が巻物を捧げている場面らしい。
皇子は折れた壁面にいて目立たずに気の毒。皇帝・皇妃同様に衣服の描写が平面的。
⑱キリストに寄進するコンスタンティノス9世モノマコスと皇妃ゾイ」(数度の改変を経て1055年までに完成)
こちらの方が60年ほど古いモザイクだった。
同サイトは、真珠や宝石で飾られた非常に豪華な衣を着た皇帝が、金貨の詰まった袋をキリストに差し出しています。反対側ではお妃が巻物を持っていますが、この巻物は教会にある特権を与えるという勅令を記したものです。即ちこれは11世紀の皇帝が、教会に対してお金と法律という形で寄附をしたことを記念してつくらせたモザイクと考えられていますという。
この時期に大ドームが落ちた訳でもない。何のために寄付をしたのだろうか。劣化したモザイクを修復したのだろうか。
こちらも皇帝・皇妃の衣装が平面的で、キリストの襞の多い着衣とは対照的だ。
『天使が描いた』は、ビザンティン史を通じて最大のモザイク制作のパトロンであった同皇帝の肖像を含む奉納モザイクパネル画が残る。しかしこのモザイクパネルは、皇帝とその妻ゾイおよびキリストの顔とともにつくり替えられており、美術史上多くの問題を抱えているという。
この2面をよく見ようと思ったら、窓から逆光が入らない午後からの方が良いかも。

2つのモザイク画の間の大きな窓は、太い格子に小さなガラスが嵌め込まれている。
そのガラスはかなり分厚いものらしく、あちこちが剝がれながらも一応雨風を防ぐ役目を果たしているようで、取り替えられることなく枠に填っている。そして、それぞれに黄色っぽい色が塗られているのだが、それが内側なのか、外側なのか、よくわからなかった。
ひょっとして金箔ガラス?そういう思いが一瞬頭をよぎったが、金箔ガラスなら、ガラスとガラスに挟まれているはずで、こんな穴だらけの風化の仕方はしないだろう。それに、金箔は光を通さないので、暗くて窓ガラスの役目を果たさないだろうし。
東エクセドラの列柱を振り返る。アーチの下側は、他の3箇所と同じく唐草文様のモザイクになっていて、1つ1つ図柄が異なるのも同じだった。
西の端は細い蔓が巻いているが、よく見るとフレスコによる修復だった。

※参考サイト
益田朋幸氏のイスタンブール ― アヤソフィア美術館とビザンティンの聖堂 ―

※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」(益田朋幸 2004年 山川出版社)

「ビザンティン美術への旅」(赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社)
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」(1993年 講談社)