『世界歴史の旅ビザンティン』は、ジガナ山脈の標高1600mを越える洞窟を中心につくられたスメラ修道院。ビザンティン時代の建築や絵画はほとんど現存しないが、リラの僧院と同様に正教修道院の雰囲気を知るにはふさわしい場所である。修道士が暮らした洞窟を中心に修道院が形成されたのがいつかは、正確にはわからない。8世紀には修道士の共同体がいとなまれていたことが推測されるが、13世紀末から14世紀に至るトレビゾンド帝国諸帝の寄進が修道院を大きく発展させたことが確実である。トルコ治下の19世紀に修道院はもっとも繁栄し、ギリシア独立に伴う住民交換で廃墟となって今日におよぶ。
院内に残るフレスコのほとんどは18世紀のものだが、比較的ビザンティンの様式と図像をよく伝えているという。
断崖の凹みに礼拝堂が造られているのだが、外壁一面にフレスコ画が描かれて、普通の聖堂とは全く雰囲気が違う。
船のように突き出たところ。
上段左が受胎告知、右の曲面がキリスト降誕の場面。
下段は人物が多く描かれるが、傷があってわかりにくい。
マリアさんが子供の頃の話が描かれています
目の部分が削られているのは、後の時代のイスラム教徒が、目の病気が治ると信じて削ったんでしょう。たぶん
受胎告知の左はマリアの神殿奉献。
場面の仕切りに使われる文様帯をそれぞれ別のものを使って、工夫がみられる。
左横の入口上にはキミシス(聖母の死)が描かれている。
キミシスは聖母の魂として子供姿のマリアをキリストが片手に抱えているのが通常だが、それがよく見えない。
キミシスについては後日。
この船のような出っ張りの反対側もフレスコ画で埋め尽くされている。
窓の右。場面は不明。
ラザロの復活。
左上から、キリストのエルサレム入城、キリストを棺に納める場面、冥府降下。
左下から、不明、磔刑、十字架降下。
その下には鎖で繋がれたライオンが向かい合っている。その真ん中には樹が生えているみたい。生命の樹と対偶文のモティーフがこんなところにあった。
関連項目
キリスト降誕図の最古は?
キリスト降誕について
※参考文献
「世界歴史の旅 ビザンティン」益田朋幸 2004年 山川出版社