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イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2014年4月12日土曜日

サントリーニ9 アクロティリ遺跡3


遺跡の東北隅には壺がたくさん並んでいる。その前にも見学デッキがある。
デッキより眺めると、奥に家屋、手前の庭には壺が並び、右手に家畜小屋がある民家のようでもある。

建築複合体アルファまたはピトス貯蔵室
説明板は、ピトス貯蔵室とはスピリドン・マリナトス教授が1967年に最初に発掘した建物に与えた名前である。何故なら、彼はたくさんの大きな貯蔵用容器(ピトス)を発見したからであるという。

A2 貯蔵室
平たく整地されたところには、小さめの壺類が置かれている。蓋付のものもある。

A3 貯蔵室
家畜小屋に見えたのは、屋根か壁が落ちてくるのを防ぐつっかい棒が並んでいるだけで、そこにも壺がたくさんある。
S 聖所
家屋ではなかった。天井部分には丸太が通っている。
『図説ギリシア』は、上階の部屋の床は、太い横木を等間隔に渡した上にこれと直交するように細い葦を並べ、厚い粘土で床を張って、その上に平らな石を敷きつめるという入念な作りを特徴としているという。

見学デッキからポールの外を見下ろす人たちがいる。
『図説ギリシア』は、アクロティリの人たちは、地震の復旧作業をしているさなかに火山の爆発が迫っていることに気づき、大急ぎで避難したらしい。火山灰の堆積の隙間に石膏を流し込むことによって、家屋から路上に運び出されたベッドが検出されているという。
その石膏ベッドを眺めているのだった。
どうもひっくり返ったベッドが2台並んでいるらしい。
アテネ国立考古博物館には木製ベッドのレプリカが展示されていた。
       
北通路から建築複合体アルファ
S1の貯蔵室の壺が並んでいるのがよく見える。
『図説ギリシア』は、アクロティリの家々では、地階が貯蔵や作業の場として使われ、そこには水や穀物などを貯蔵する瓶が並んでいたという。
壺には連続渦文や植物文などの絵が見られる。文様の違いで貯蔵しているものがわかるようになっていたのかな。

こんな風に眺めているうちに、みんなどんどん西通路へ進んでいる。そこにもデッキがありそう。
西通路のデッキから建築複合体アルファの裏側が見えた。
窓や戸口などの開口部が木枠だったことがわかる。

東通路から分かれたジグザグの通路がこちらまで延びている。

デッキの右手にも建物の遺構があった。
それは婦人たちの家と呼ばれるフレスコ画の出土した部屋(赤)のある館跡だった。
フレスコ画についてはこちら

左のつっかい棒の見えるところがフレスコ画のあった部屋かな。

その南側の遺構
向こうには窓のたくさんある高い壁がいくつか見られる。
これって、複合体デルタの続きではないのかな。
複合体デルタについてはこちら

いよいよあの階段から遺構のあるレベルへと下りていけるみたい。

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関連項目
アクロティリ遺跡の壁画2 婦人たちの家の壁画
サントリーニ1 クレタからサントリーニへ
サントリーニ2 イアに夕日を見に
サントリーニ3 ネア・カメニへはフィラから
サントリーニ4 パレア・カメニ島の海中温泉
サントリーニ5 火山島ネア・カメニ1
サントリーニ6 火山島ネア・カメニ2
サントリーニ11 アクロティリ遺跡5

※参考文献
「図説ギリシア」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社