お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年2月7日月曜日

9-4 サンタ・コスタンツァ廟周歩廊2、天井のモザイクに金箔のテッセラ

葡萄唐草のパターン4の下側には壁龕があった(矢印)。
北東の入口から入って反時計回りに回っているので、この壁龕があるのは1/4周した北西にあることになる。

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壁龕には玉座(というより球)の上に坐るキリストに何者かが木(ナツメヤシの実のついた葉?)を渡している。キリスト伝のどのエピソードに当たるのだろう。

モーセに律法を授ける神
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、主題は球体に座す神から律法を受け取るモーセを表したものと考えられるという。
キリストではなく神の全身像が表されていたのだ。
主題の輪郭となる、実のたくさんついた葉綱の文様帯が素晴らしい。
この壁龕を下から見上げてビデオで撮影していた時、キリストの上着の左襟にきらりと光るものに気がついた(矢印)。金箔のテッセラだ。ゴールドサンドイッチグラスを割って作った四角い小さなテッセラが一つ、煌めいていた。
動画で見るとテッセラの1つ1つがわかるのに、画像にすると解像度が低いため、こんな風になってしまい残念。
パターン5には金のテッセラが見えず、パターン6へ。

パターン6
さまざまな折枝、鳥に混じって、壺や碗、リュトンなどがちりばめられている。
そして左端には青や赤い石を象嵌したような帯状装飾が金地になっていた。レンズの向こうに煌めく金色の帯を見つけた瞬間。
もう1つパターン6があり、右端には同じように青や赤の貴石を象嵌した金の帯を模した装飾帯があった。
貴石の象嵌についてはこちら
実際にはこのようになっています。グーグルアースで真上から見たら、円屋根の南西部に小さな四角い屋根がのっている。それがこの天井の高い部分だろう。
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、周歩廊天井にも、奧の一区画を除き、円柱間の各アーチ及び各壁龕と対応して11区画に分割されたモザイク装飾があるという。
そのモザイク装飾のない「奧の1区画」の両側に、この金地の帯状装飾がある。そして同じモティーフのモザイク壁面が繰り返される。
奥の一区画は入口から直進方向の最奥部にある壁龕の天井部になる。
『イタリアの初期キリスト教聖堂』は、現在でも建物の一番奥にコンスタンツァの石棺(ただし模作)が置かれているのを見ることができるという。
上ばかり見ていて石棺は気づかなかったが、それがヴォールト天井がなく、高い交差ヴォールトの天井となっている理由だろうか。
これら2面の同じモティーフのモザイク壁面には、金箔ガラスを使ったものがたくさんあった。リュトン、
部分的に鍍金された銀の鉢、それともガラス碗?その隣の柄のついた器にも、
水差しも。金箔テッセラを用いたのではないが。果実の立体的な表現がみごと。
パターン6の2面は金箔ガラスのテッセラが用いられているだけでなく、色彩が豊かだ。これは舗床モザイクのように色石を割ったテッセラではなく、色ガラスのテッセラだろう。おそらく他のパターンや小壁龕頂部のモザイクにもガラスのテッセラが使われているのだろう。
実は、初期キリスト教会で後陣を飾るようになった金地モザイク装飾がいつから行われるようになったかというのも、知りたいことの一つだった。ひょっとして、コスタンツァ廟は、金箔ガラスや色ガラスのテッセラによる壁面モザイクの最古ではないだろうか。

そうそう、忘れるところだった。葡萄唐草のパターン4のもう一つの天井の下の壁龕頂部(対角にあるので南東部分)にもモザイク壁画がある。

トラディティオ・レーギス(Traditio Legis)
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、キリストがペテロに巻物を与え、それをもう一人の使徒パウロが称揚するいわゆる「トラディティオ・レーギス」を表したものである。この場面は4世紀後半のローマに特有のものであるという。

この壁面にも金箔テッセラが使われているだろう。特にキリストの衣服に。
さて、コスタンツァ廟を4世紀初頭とする説と、360年頃とする説がある。
同書は、円形堂はそもそも洗礼堂であったという意見、ないしは一時洗礼堂として使用されていたという意見もあるが、確証はない。現存するモザイク装飾、およびすでに失われてしまった装飾を考えると、当初から皇族の墓廟として建造されたと見なしてよいと思われるという。
360年頃という根拠は、4世紀の著述家A.マルケリヌスの記述に従えば、354年没のコンスタンティヌス帝の娘コスタンツァ、さらに360没のその妹ヘレナのための墓廟であったと思われるかららしい。
そしてこの年代は、4世紀後半のローマ特有の場面と符合する。従って、コスタンツァ廟の建立が360年頃というのが適当ではないだろうか。ということは金地モザイクも360年頃に始まったことになる。

金箔テッセラはこのようなものです。
モザイクのテッセラ 東地中海岸域 9-12世紀頃? 1辺0.9㎝厚さ0.6㎝ 薄緑色の透明ガラス、金 岡山市立オリエント美術館蔵
『ガラス工芸-歴史から未来へ展図録』は、ビザンティン時代に壁画や天井の装飾に用いられた金地モザイクのテッセラ(モザイクの素材の石片やガラス片)のひとつ。これを作るには、吹きガラスで膨らんだガラスを割いて開くと板ガラスができるが、これへ薄くのばした金とガラス膜を熔着させて、冷却後にガラス切りで1㎝角ほどの大きさに切断する。裏面に壁面へ取り付けたモルタルが付着しているという。


コスタンツァ廟の周歩廊天井モザイクについてはこちら  

※参考文献
「建築と都市の美学 イタリアⅡ神聖 初期キリスト教・ビザンティン・ロマネスク」(陣内秀信 2000年 建築資料研究社)
「建築巡礼42 イタリアの初期キリスト教聖堂」(香山壽夫・香山玲子 1999年 丸善株式会社)
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」(1997年 小学館)
「NHK名画の旅2 光は東方より」(1994年 講談社)

「ガラス工芸-歴史から未来へ-展図録」(2001年 岡山市立オリエント美術館)