お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年1月25日水曜日

2日目1 アナトリアの高原を走る

ぐっすり眠っていると、とんでもない音の目覚ましが鳴った。しかも大音量で鳴り続ける。時計を見るとまだ起きる時間ではない。
そして隣室がざわつき始めたが、ネムルート山に日の出を見に行くにしては遅い時間だった。
また眠っていると、今度は窓の外でがやがや人の話し声。日本語ではなかった。それで目が覚めてしまい、身支度や荷造りをした。

6時からレストランが開いているというので、それよりも前に外に出ると、まだ暗い中庭におばちゃんたちがいた。この人たちだったのか、さっきのがやがやは。きっと朝のお祈りの時間だったのだ。
トルコ語で挨拶してみよう。
ギュナイドゥン (おはようございます)
Günaydin! Nasilsin? (お早う! ナスルスン、お元気ですか?)
ひえ~、どう答えれば良いのかわからない
手を振って立ち去ってしまったが、Íyiyim(イイイム)で良いのだった。ガイドのKさんは「イム」ですと言っていたが。 

朝食もビュッフェ式、白いチーズ、オリーブ、卵料理、ソーセージ(イスラームのトルコでは牛肉)、野菜その上朝からスイカ。ジュースにチャイにパン。牛乳も飲んだと思うが。
ヨーグルトにジャムを3種類ほどトッピング。トルコのジャムはフルーツがそのままの形になっているのは、『トルコで私も考えた』で知っていたので、ジャムは試してみたかったのだった。
ツアーの人たちも早めに朝食を済ませ、テラスで景色を楽しんでいた。
岩山に遮られた渓谷といってもこんなに広々としている。西側が高く東側が低い。
突然暗かった東側から山越に朝日が降り注ぎ初めまぶしい。
中庭には小さいながらプールもあり、周りの木にはサクランボがなっていた。大きめの実をつけたものと、日本のサクランボのような小さな実のものとがあった。
設備はいまいちだったが、この鄙びたホテルが気に入った。何でも改装中だそうで、快適な部屋になっていくらしい。
面白いのは客室の入口の構造で、通常廊下の両側または片側に並んでいるのだが、このホテルは、アーチを入ると4つの部屋の入口が四角い空間に並んでいる。左右の壁に1つずつと、入って奥の壁に2つ。奥の部屋は反対側に窓があるという構造になっていた。
廊下はなく、玄関間があると言ったら分かり易いだろうか。
バスが動き出すと、若い従業員たちが一列に並んで手を振ってくれた。その瞬間思い出した、枕チップを置くのを忘れていた。
今日はヴァンまでの長旅になるので、早めに出発。ネムルート山へはこの道を行ったが、今日は山道を下っていく。
小さな村を過ぎて景色がなだらかになったところでネムルート山が一瞬見えた。
そして小さな川を渡りしばし岩の崖を楽しむ。
またなだらかになって畑が見え始め、やがて小さな村に入った。これがナリンス Narince村かな。
小さなマーケットにはスイカが積まれていた。
その後右折気味に別の道路に入った。これがD360号線だった。
やや下り気味で東へ東へと走っていった。
今日は少しフェリーに乗ります
アタチュルク・ダムにフェリーが運航されるようになったという。
着いたのは何とも素朴な船着き場だった。
このフェリーはグーグルアースにも載っていた。
Kahta-Siverek Feribotuというらしい。

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