お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2015年10月22日木曜日
ボロ・ハウズ・モスク1 夏用モスク
③チャシュマ・アユーブ廟から東へ向かい④ボロ・ハウズ・モスクへ。
舗装されていない道を行く。
家の前の屋台に羊肉を吊した肉屋や、アイスクリームのケースをどんと置いて人のいないところ、そして閑そうな靴修理のおじさんなどを通り過ぎてきた。
チャイハネ発見。木陰でのんびりとお茶している。道を歩くと暑いが、木陰は涼しそう。
道脇でシャシリクを焼いている。もう昼食?それとも遅めの朝食?
広い通りに出る前に左へ、次に見学するボロ・ハウズ・モスクも焼成レンガでできていた。
『中央アジアの傑作ブハラ』は、このアンサンブルは、カリアン・モスクの次にあたる2番目の(1712年に建てられた)ジュマ・モスクの周りに造られたという。
左のドームがその金曜モスク?
ミナレットの痕跡?
この建物は樋が目立つ。今まで見学してきた建物にもあったかな?
右にはぽつんと小さなミナレット。
『中央アジアの傑作ブハラ』は、1917年にマスターのウスタ・シリンによって、貯水池の岸にカリアン・ミナレットを模したミナレットが建設されたという。
背後に貯水池が見えているが、チャシュマ・アユーブ廟の中で見たサルドバのようなドームはなかったのかな。
その奥にあるのは、ソ連時代の貯水槽だったとか。
東側にはアイワン。
同書は、20世紀初頭、モスクの正面は、高い木製のアイワンで覆われていた。
モスクの特徴は、20本の木製の柱があるアイワンの装飾である。2つの木をつないで、長い柱がつくられているという。
細い柱の柱頭はムカルナスだが、何とカラフルな・・・
天井も極彩色。
柱にはギリヒ(幾何学文)の浮彫のあるものも。素木を見てほっとする。
別の柱礎にはイスリミ(植物文)の浮彫。
現在北半分は修復中。
メドレセの二階建てフジュラ(学生寮)のよう。
アンサンブルというのは、1712年に創建されたモスクに、後の時代にメドレセが付け足されたということだったのだ。
南端にもフジュラがあるのが見える。ということは、ここは二階建てのフジュラが並ぶ中庭があったのだ。
それが何かの理由でなくなって、あるいはなくして、このアイワンを造ったということだ。
南の端で壁面の修復をする渋いおじさん。休憩中で、いろいろと説明してくれたのだが、何しろ言葉がわからない。
建物の北側にまわる(というか、今立っている所にトイレがあり、そこから写している)と、ここにもミナレットのような半円筒の出っ張りが。
どこまでが創建時のものなのか、よくわからない。
もしかすると、これが本来のモスク?近づく時間がなかった。
古くなった柱が置かれていた。どうなるのだろう?
2本の木を繋いで高くしたということがわかるものも。
ここだけでもほしい。
幽かにイスリミの痕跡が、
ボロ・ハウズ側から撮影。
水面にアイワンが映り、40本に見える。イランのチェヘル・ソトゥーン宮殿みたいやな、行ったことないけど。
→ボロ・ハウズ・モスク2 冬用モスク
※参考文献
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年