お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年2月2日水曜日

8-2 3番のバスでローマの城壁巡り2

前方に再び城壁が見えてきた。
ポルタ・マッジョーレ広場(Piazza Porta Maggiore)だ。

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この城壁にはアーチ門がたくさんあり、それぞれが道路の車線やトラムの線路として使われている。
『ローマ古代散歩』は、市壁の東端に残るローマの水道橋。門(ポルタ)というのは、プリネスティーナとラビカーナ(現カジリーナ)の両街道をまたいでいるからで、アーチの下に残るわだちの刻まれた玄武岩の敷石がただならぬ古さを感じさせている。しかもここには、ローマ東方の山地を水源とする水道がすべて集結していたという。
アーチ門がたくさんあるのではなく、水道橋のアーチだったのだ。

ここで初めてローマのトラムを見た。今乗っているのが「トラム」のはずなのにバスだったので、トラムの存在に疑問を持っていた。
元はトラムだったのが、バスになったのだろう
それでは世界の動きとは反対やん
ローマの路線図を見ると、ポルタ・マッジョーレ広場には3・14・19の3路線のトラムが通っている。路線図についてはこちら
エレニアーナ(Eleniana)のバス停で乗客がどっと降りたので座れることになった。
城壁の門をくぐって外に出ると、トラムの行列ができていた。
城壁の中に白い門がある。マッジョーレ門(Porta  Maggiore)だ。その前の9つの穴のある妙なモニュメントが気になる。
門の上方には、修繕したウェスパシアヌスとティトゥスの名も刻まれている。パラティーノに支脈を引こうとしたネロの水道橋が西方に点在している。
なお、門の外にある穴のあいた立方体は、共和政末期に製パンで財を成したエウリサケスの墓(19世紀に出土)であるという。
9つも穴があるとは、どんなデザインの墓だったのだろう。
門に続く小さな2つのアーチには軌道が通っていた。玄武岩の敷石というのはよくわからないなあ。
前方には鉄道の高架。テルミニ駅には意外と近い(左手の方向)。車の軍団はゴッホのポスターへと向かう。
しかし、我々の乗った3番のバスはマッジョーレ門に続く城壁のカーブに沿って左へ。
またアーチが3つあるが、アーチをくぐればまた市街に入ってしまう。
と思ったら、バスは右へそれて鉄道の高架をくぐった。

※参考文献
「ローマ古代散歩」(小森谷慶子・小森谷賢二 1998年 新潮社)