お知らせ
イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。
詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。
2006年8月6日日曜日
寺町通り 一保堂
通っていた大学が寺町通りの北の方にあったので、この通りは何度となく歩いた道だった。そして、通るたびにお茶の香りと風でゆれる一保堂の暖簾が目に入った。当時は自動ドアもなく、季節によって違ったかも知れないが、暖簾をくぐったら店内だったと思う。だから今よりもお茶の香りが辺りに漂っていたはずだ。 表には「新茶」の旗がかかっていた。お茶屋の季節感はこの旗くらいのものだろうか? 現在でも外観は変わらない。中に入っても変わらない。だが、何時の頃からか、入って右手に喫茶ルームのようなものができている。いろんなお茶がお菓子つきで出てくるようで、今度行った時には飲もうと思うのだが、時間に余裕がなく、まだここでお茶を飲んだことがない。
注文すると、若い店員さんがてきばきと抹茶の缶を包んでくれる。以前は、梅田の阪神百貨店地下の一保堂でも、このように紙で巻いてくれたが、いつ頃からか密閉してある缶をそのまま袋に入れるだけになってしまった。
他のお茶屋でこのようにされてもどうも思わないのに、一保堂だけは残念に思ってしまう。省資源という点では、包装紙などで包まない方が良いのだろうが。
何故かというと、一保堂の包装紙は、和紙に陸羽の『茶経』が印刷されているのだ。ある程度大きな紙に印刷されているのを切って使っているのか、缶によってそれぞれ見た目が違ってくる。
久しぶりに寺町通りの本店に来たのだが、今までと変わらないやり方で小さな抹茶の缶を包んでくれた。今回の包装紙は「前は紙の色が白かったのに」と思うような漂白していない色だったが、記憶違いかも知れない。
抹茶だけを売っているのではないが、来る時はいつも抹茶を買っている。ここの抹茶は苦くないので、リーズナブルな値段のものでも、美味しく飲むことができる。
これはそれぞれのお茶屋の特徴だろうが、お茶屋によっては苦いものもある。
話は変わるが、茶道を習っていた頃、一年に一度だけ「茶かぶき」という、平たく言えば遊びが行われた。それは、3種類の濃茶を3名で順番に飲んでいき、お詰め(お茶屋の名、あらかじめ示されている)を当てるというものだ。その中に1つだけ苦いものがあり、苦いと○○のものと分かり易かった。しかしながら、他の人も苦いお茶の店はよく覚えていたので、成績には差が付かないのだった。
さて、今回買った抹茶は新茶ではない。
茶道では11月に炉開きと言って、暑い間使われていた風炉から、畳の下に作られていた炉を開く、最も重要な行事である。この時に行われるお茶事は「口切りの茶事」と呼ばれている。
何の口を切るのか?茶壺の封である。茶壺には新茶が詰められていて、半年寝かされる。茶壺の封は何重にも和紙が貼られている。それを小刀で切り、茶葉を取り出して石臼で挽き抹茶にするのである。
だから、抹茶の新茶は11月である。