お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2011年8月29日月曜日

1-28 スルタンアフメット廟1 8つのペンデンティブ

昼食後はスルタンアフメット廟へ向かった。ヒッポドローム(At Meydani)を横切ろうとすると、アヤソフィアが見えた。
右に見えるのはドイツの泉と呼ばれている。ドイツのヴィルヘルム2世から寄贈されたもの(『地球の歩き方E03イスタンブールとトルコの大地』より)左にあるのがスルタンアフメット廟。スルタンアフメット・ジャーミイのミナレットが4本見える。
現在はバスや車の通行が制限されているので、グーグルアースで見るような車の列はない。

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小さいので、半ドームなどは付かず、正方形平面にドームが載っている。
スィミットが焼き上がったのか、台車に乗せて運んでいく。さすがにお腹が一杯なので、焼きたてが美味しいといっても買おうとは思わなかった。
廟でも入口前で靴を脱ぐ。一応スカーフを巻く。ここも無料。
中に入ると緑色の布とターバンのような白い飾りを載せた柩が大小隙間のないほど置かれている。イスラームでは遺体は土葬ということになっているので、実際は地下に、この位置のまま埋葬されている。
『イスタンブール歴史散歩』は、ブルー・モスクは、7年がかりで1616年に完成した。このモスクの建立に熱心だったスルタンはしきりと工事を急がせたというが、完成の翌年、27歳の若さで他界した。
廟内には緑の布で蔽われた巨大なアフメットⅠ世の柩を中心に、皇妃のキュセム・スルタンや、3人の息子、オスマンⅡ世、ムラトⅣ世、バヤジット皇子らの柩が30数基ずらりと並んで、墓とは思えない賑やかさであるという。
奥がキブラ(マッカの方向)になっていてミフラーブがアーチの奥に造られている。モスクだけでなく、柩もマッカの方向を向けるのが決まりらしい。
ドームからはモスクと同じようにランプを吊り下げる紐がたくさん下がっている。
目をドームの下に向けると、パステルカラーのステンドグラスを通してが柔らかい光が入って来る。
正方形の角にはスキンチ・アーチ。あれ、スキンチ・アーチ?スルタンアフメット・ジャーミイのように4つのペンデンティブにドームが載っているのかと思っていたのに。
スキンチ・アーチの奥にも窓が2つ。窓があるということは曲面ではなく平面の壁?しかし、半ドームがスキンチ・アーチから出ているようにも見える。
1辺が√2の八角形の各角からペンデンティブが上がって、8つのアーチの頂点のところで円形となってドームへと移行している。ドームの下で4つのスキンチと8つのペンデンティブが組み合わさっているという方が的確だろうか。
スルタンアフメット駅近くにあった、1491年創建のフィルズアー・ジャーミイ(Firuz Aga Camii)も、ひょっとしたら同じようなドームの載せ方をしていたのかも。いや、単一のドームを戴いたモスクは、このような架構なのかも知れない。
スキンチ・アーチの奥は、2つの平らな壁のようでもある。窓の上縁が他の窓と比べて厚くなっているので、わずかながら曲面になっていることがわかる。
非常に狭いが、四壁に沿って通路が設けてあるので、一周してみよう。
※参考文献
「イスタンブール歴史散歩」(澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社)
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」(深見奈緒子 2003年 東京堂出版)