お知らせ

イスタンブールを旅してきました。目的は、ミマール・シナン(正しい発音はスィナン)の建てたモスクやメドレセ・ハマムなどや、ビザンティン帝国時代の聖堂の見学でした。でも、修復中のものもあり、外観すら望めないところも多く・・・ 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年4月25日水曜日

6日目8 エルズルム6 ヤクティエ神学校

ヤクティエ神学校  Yakutiye Medreseは正面入口が西側にある。キュンベットのある側から回り込んで行った。

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ヤクティエ・メドレセはキュンベットの尖り屋根の他、角形の煙突や四角いドーム屋根、そして装飾的なミナレットのある建物だった。
『トルコ・イスラム建築』は、屋内式メドレセの中で、内部に3つのイーワーンのあるタイプである。イルハーン朝のスルタン・オルジェイトゥとブルガン・ハートゥンの名で、イルハーン朝の知事でイラン人のホジャ・ゼマーレッディン・ヤクートが1310年に建設した。
幅約26m、奥行き約33mの縦長の長方形の建物に、正面の両隅にミナレットを、後側にキュンベットを付けているという。
このメドレセにも、屋内の中央に明かり取りのムカルナス・ドームがあるようだ。
アニのキャラバンサライのドームと比べると、ムカルナスは様式化が進んで、1片1片はどのような形かわからないが、それらで構成した1単位が縦横に整然と並んでいる。
ムカルナスのドームについはこちら
ミナレットはメドレセの壁の高さまでは切石造りで、それより上部は煉瓦造りである。北側のミナレットは煉瓦造りの部分は失われ、キュンベットに似た円錐形の屋根が付けられているという。
北側はミナレットではないと思っていた。
今修復中なので、中は見学できません
扉が少し開いているので、外から写真だけでも撮りたいものだ。
南側のミナレットはバルコニーがあった高さまで残っていて、小豆色に輝いている釉薬煉瓦で覆われ、曲がった枝で編んだような紋様が美しいという。
赤い焼成平レンガに空色タイルが嵌め込まれている。六角形や6点星の空色タイルが嵌め込まれた面は、赤い焼成レンガを六角形に刻んで組み合わせている。
西に向いている正面のタチカプは、壁よりも2.9mも前方に飛び出していて、豪華な石彫りで装飾された重厚なものであるという。
確かに今まで見てきたモスクの門構えは、ファサードの面よりも凹んで造られていた。
扉は説明を聞いているうちに綴じられてしまった。
浅いイーワーンには9段のムカルナスがある。
単位としてのムカルナスの形は、やっぱりアニのキャラバンサライのドームのものに似ている。11世紀、セルジューク朝が造ったムカルナスのドームは、東トルコのムカルナスの形として継承されていったようだ。
4つの垂飾は星形にはなっていない。開いた花を下から見上げたような形をしている。
横の文様帯は、中央の小円柱から外側の小円柱を含めて8本ある。ほぼ植物をモティーフにした文様で、12点星の組紐文もある。そして外縁となった高浮彫のものはムカルナスを縦に並べているようだ。
門構えの南側上部の浮彫。小円柱を除いて、5本の文様帯があるが文様は3種類。中央が幾何学文らしいが、他は植物文。
タチカプの南北の両側面には、ナツメヤシの樹の上に頭を傾けて横に向けた鷲、葉の下に向かい合った2頭のライオンの浮き彫りがある。研究者によれば、元々双頭の鷲の浮き彫りだったが、後に何らかの理由で片方の頭を削り取られたという。
チフテ・ミナーレ・メドレセにもあったナツメヤシの生命の樹は、アナトリアに来ると何故か幹が短くなる。
これで本日の見学は終わり。ヤクティエ・メドレセが修復中ならウル・ジャーミイの方を見学したかったなあ。
モスクから目を外すと、そこは現代的な広場となっていて、周囲の建物も歴史を語るものはない。
今日の宿泊はパランドケン・カヤク・メルケズ Palandöken Kayak Merkeziというスキー場のリゾートホテルRenaissance Polat Erzurum。
とは言っても、ヤクティエ神学校のある広場から10分ほどで着いてしまった。
雪がないのでオフシーズン。
夕食は今夜もビュッフェ・スタイル。今日はおっちゃんの食べたものです。
左上が前菜の盛り合わせ。右がスープ、下左がメインで右がデザート。
デザートはさすがに2名分。白い四角いものはス・ボレーイ(Su Böreĝi 水パイ)、『トルコで私も考えた③』で知って食べて見たかったデザート。Kさんもお勧めですと言っていた。上にチェリー・ジャムか何かがかけてあった。中にもナッツが入っていたかな?これは他の2品と違って甘さ控えめで、焼いて出てくる薄いパンのようなユフカをゆでてから焼き上げたお菓子。作者の高橋由佳利氏が言うこってり重いパイではなく、あっさりしたパリパリしていないパイだった。
このホテルはこの旅一番の高級ホテルで、東トルコでは唯一バスタブのあるホテルだった。部屋も広かった。
しかし、夜が更けても室内は暑く、エアコンの設定を変えても涼しくならず、窓を開けても暑くて眠れなかった。

※参考文献
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル
「東アナトリアの歴史建築 Stone Arks in Oblivion」篠野志郎 2011年 彩流社
「トルコで私も考えた③」高橋由佳利 2002年 集英社