お知らせ

イスタンブールでミマールスィナンの造ったモスクを見ていて、その前はどんな形のモスクだったかが気になって、オスマン帝国の古都を旅してきました。最後にはまたイスタンブールを訪ねます。 詳しい事柄は忘れへんうちにに記事をのせます。

2012年3月22日木曜日

5日目4 アニ遺跡2 ティグラン・ホネンツの聖ゲオルギウス教会 The Church of St.Gregory the Illuminator

29:ハマムから川筋へと下っていく。ということは向こう岸はアルメニア。監視塔を写してしまわないか心配。
30:聖ゲオルギウス教会は崖の際にあるらしい。
説明板によると、1215年、グルジア占領時、アニの富裕商人ティグラン・ホネンツ Tigran Honentsが聖ゲオルギウスに献納した。後に墓所? jametunが付け加えられたという。
手前の建物が墓所かな。この教会も赤と黒の凝灰岩が使われている。
残念ながら2012年3月現在、グーグルアースではこの教会は立体的には出ません。
これが正面入口。ところどころ壁画が残っている。
このタンパンには窓を挟んで、右がキリストの十字架降下、左が聖母の嘆きの壁画。
窓枠やタンパンの周囲の浮彫文様帯が繊細。
墓所?の壁面にもフレスコ画が残っている。
教会の端、墓所との境目あたりに残る細い付け柱とその上に弧を描くアーチ。その中には浮彫の文様帯が三重あり、中央の2つは1枚のムカルナスのように曲面になっている。イスラーム建築の影響だろうか。
イルハン朝 Ilhanliの支配期に外壁の動物の浮彫が付け加えられたという。
イルハン朝は1256-1335年に中央アジアを支配していたモンゴル系の王朝で、このあたりもその版図に入っていたのだろう。チンギス・ハーンの来襲の後、廃墟となってしまったわけではなかったようだ。
イスラームは人だけでなく、動物を表現することも禁止されていたはずだが、イルハン朝は例外的だったのかな。
確かにアーチとアーチの間に動物の浮彫がある。左は馬、右はライオンのようだ。
草食獣を肉食獣が追いかけているのだろうか。
左のアーチの下には、曲面の文様帯がある。入口の壁面にも見られたものだ。これもイルハン朝期のものだった。
一見切石を積み上げたような教会だが、実際は薄い石なので、表面の石を剝がして、浮彫した石材を嵌め込むことはそれほど困難ではなかっただろう。
ドームの浮彫とは何となく雰囲気が違うという印象を持ったが、ドームはアルメニア期のオリジナルだからだろう。